素晴らしい企画に参加させて頂いたこと。
心からの感謝を込めて。
▼Patrick Mojiiトレイラー
https://summerday.hatenablog.com/entry/2022/09/01/000011
前菜。紳士淑女へのアナウンス。準備体操。私たちの感情を高め、物語に没入させるカウントダウンのあと。2曲目にこの曲が選ばれたということ。
2曲目にはたとえ、無意識でも、自分にとって何か大きな存在である曲が選ばれるのではないか。ユニゾンは特に順番に対して、セトリに対して、込める覚悟の強さが顕著だと思う。私はその熱度に、同じ覚悟で向き合いたいと決めるのである。
それぞれの曲を法則性で語るのは申し訳ない気持ちになるが、センチメンタルピリオドを除き、全てがシングル曲ではないことも、大事な要素だ。アルバムでしか聴くことができない。
細やかな各パートのフレーズのおかげもあり、あまりにも歌詞のメッセージ性について考えずにはいられない曲である。
そう思って、
マーメイドスキャンダラスを聴く時
必ず思い浮かぶことになるのが、
かのおとぎ話である。
タイトルに戻る。現パロを知らない人のためにご説明しよう。現代パロディの略で、過去・未来・異世界などを舞台と物語のキャラクターがもし現代で生活していたら...?といった一種の二次創作を指す。
田淵智也はおとぎ話や過去のCMや番組のキーワード、偉人の名前etc...をよく歌詞に入れている。しかしそれは引用であってパロディであったことはないと思う。
おとぎ話っぽいユニゾン曲といえば?と聞かれたとき、mix juiceのいうとおりが思い浮かぶ人も多いのではないだろうか。とりあえず、これを例にする。
今日までの感情が明日を作るから
イライラも後悔もまるごとミックスジュース
12過ぎても解けない そんな魔法があっても欲しくない
早く帰って眠らなくちゃ
これは「シンデレラ」の引用だとすぐ分かる。でも主人公はシンデレラではないし、アリスでもないことも確かだ。私がこの曲を聴いて浮かんできたのは喧騒の街をゆく若いリーマンやオフィスレディだった。妄想だよ。
おとぎ話は過ぎ去ったものとして、感情にだけしか憑依できない。皆が知っている、表現の道具として扱われ、この今の世界におとぎ話が融合することはない。
感情を表すために、「○○みたい」と付けられて比喩になってから、やっとおとぎ話というのは現実世界に存在することができる。いわゆる「並行世界」でもない。
「mix juiceのいうとおり」は、現実的な要素が人を元気づける力を持っていて、言葉の意味としては若干異なっているのだが、1つのおとぎ話でもある。当たり前だが引用された人物と、曲の登場人物は別人格である。6年前とはいえ、今見つめれば過去であり、未来でもまた同じように「mix juiceのいうとおり」みたいだ、と使われることになる。曲のリメイクだってそういうことかもしれないね
固有名詞を歌詞に使う理由として語感も然ることながら、感情に憑依してくれるからだと思いたい。限られたメロディーに乗せた少ない語数で、何を言いたいのかが伝わる。
そして、現実とおとぎ話(比喩)がメッセージに立体感を持たせてくれている。
要するにマーメイドスキャンダラスも同じことなのだ。
登場人物と引用された人魚姫は全くの別人格だけれど、全体で捉えると、おとぎ話の要素を色濃く感じる曲だと思う。YouTubeで行われたPatrick Vegeeの試聴企画(神企画だった。毎日、発売日まで少しずつ曲の一部分が公開されていた)では、現在我々が受ける印象とは異なる、XXXXXスキャンダラスという題と、概要欄に歌詞が書かれていた。
私たちはそれを受けて、曲名を予想することになる。
歌詞で「マーメイド」という字を見ただけの時は田淵智也のチョイスしたワード、可愛すぎると思ったし、ユニゾンの曲に新たなマーメイドという要素が加わるという事実に大興奮した。新たな一面は人を惹きつける。
試聴でもかなりロック調だと誰もが分かるのだが、マーメイドの文字と曲調が私の中で乖離を生んでいた。
といっても、マーメイドという字が、皆が知るあのおとぎ話の意味をはらんでいたので、ロック調を聴いて「スキャンダラス」の前にマーメイドを置くという発想が起きなかったのである。
もっと言えばマーメイドXXXXXXとあの企画で記されていたら、圧倒的な存在感のせいで勝手にポップでライトな曲調だと勘違いすることになったかもしれない。それ程インパクトの強いワードで、曲を通して聴くまでは__Hatch I needから順番に__恥ずかしながら、スキャンダラスというワードについて重きを置くことはなかった。
この曲は最初にサビが来てから、Aメロに入る。2番ではメロディは同じであるものの表現が全く異なる。
ドラムはさながらマシンガンのよう。速い・手数多い・攻撃力高い。曲に与えられた変化というのは、特に着目すべき点である。歌詞もそれに伴って意味を変える。
企画ではサビの「運命なら」から「虚しすぎる」までが聴けた。
ではなぜ「なんてスキャンダラス」の直前で切られたのか?その意図も、見つけなくちゃ。
斎藤宏介の歌が乗ると、言葉の聞こえ方が全く違う。やっとここで私は気づいたのだ。マーメイドというメルヘンを感じさせるワードに、生々しいスキャンダラスと続く違和感。奇異の目。
…これに最初から気づくべきだった。
なぜこの曲名が成立するのか?
先程も述べた、この曲が現パロでないとした理由は
幸せと歌った彼女と不思議とリンクした
で、完全に人魚姫は主人公と別人としていることが分かる。しかし全体的におとぎ話の要素を感じる理由は人魚姫の感情が主人公の感情に憑依しているからだと思う。
特に、サビの言葉の切れ目に注意して欲しい。
運命なら/過去に/置いて/来たから今に/なって/
大事/そうに語らないで
かなり息継ぎが多い。斎藤宏介なら切らずに続けて歌うことは可能だと思わないだろうか?そして、極めつけは
遺恨検証を繰り返しても懲りてないのはどうして
だ。どうして、が溺れそうなほど苦しそうなのだ。ここにはエコーがかかっており、強調したい、聴者に訴えかけたいとわかり、何度聴いても胸が苦しくなる。
「真実は泡になる」に被せられた細かなタッピングのギターの音は、まさに人魚姫のあぶくだ。
そのあぶくは人魚姫そのものかもしれないし、人魚姫が放ったものかもしれない。
でも、ここで疑問に思ってしまった。彼女が人魚姫であるとするならば、声を奪われているので歌うことは出来ないはずだ。
歌えた、海にいたころの彼女本人は窮屈なくらしに幸せと感じていなかった。だからこの「幸せと歌った彼女」はハッピーエンドの人魚姫であると考察できる。この曲は泡というワードからも「バッドエンド」の人魚姫が主軸だろうが、ハッピーエンドの要素がなくもない。
主人公は、おそらく「人魚姫」のハッピーエンドとバッドエンドの両方を知っている。アンデルセンの原作「人魚姫」が我々の認識と多少異なるのは置いておいて。
はたして泡になった彼女は本当にバッドエンドだったのか?
物語のエンディングは読者の感受性に帰結する。彼女が人間の姿を手に入れるとき、いくら若かろうと、なんらかの代償は覚悟していない訳がない。それでも危険を賭したのは叶えたいことがあるからだ。
やると決めた以上、絶望的な状況でも引き返さない。
彼女は自分の結末を知らされたとしても、もう一度過去をやり直せることになっても、必ず破滅の道を選ぶだろう。何度も同じ結末を繰り返す人魚姫を見て、何も知らない物見遊山は「懲りてないのはどうして?」と嘲笑する。
主人公も危険を賭してここまでやって来たが、嘲笑する声に惑わされそうになる。自分の覚悟など彼女に比べればちっぽけだ。なぜそんなにも執着できるのかと言うように
「どうして?」
と、溺れながら、苦しみながら、届かないおとぎ話の中の彼女へと叫ぶ。1番のサビは惑わされたくても戻れないことを悟った主人公が苦しむ姿だったかもしれない。
2番の焦り。ドラムの変化からも分かるように刻一刻と迫っているタイムリミットを感じる。焦りというのはバットエンドが見えるから、起きるものだ。泡になってしまわないように。
おとぎ話の中の彼女に勝手に勇気付けられながら、覚悟の邪魔をしないでくれ、と雑音にわき目も振らずに突き進んだ先が破滅だとしても。実は結末を知りながら立ち向かっているという真実、覚悟を周りが知ることのないまま泡になり、その姿を「虚しい」と言われても。
沈んだ海の中で、人魚は音にならない言葉を歌ったのだろう。「幸せだ」と
このマーメイドスキャンダラスにおいて、人魚姫の結末は記されていない。...その方がいいのかもしれない。
「虚しすぎる、なんてスキャンダラス」は結局のあまりの救われなさに主人公が自分と彼女に放った言葉か、物見遊山が彼女たちに向けて放った言葉かは分からない。
主人公の覚悟の強さは彼女の域まで漕ぎ着けただろうか。
私は歌詞の1番と2番で主人公の意志の強さの違いを感じた。強くなった。だから1番の「スキャンダラス」は主人公が人魚姫に、最後の「スキャンダラス」は物見遊山が人魚=主人公に言ったと思いたい。…逆も考察できる。幸せか不幸せかは彼(彼女)のみぞ知るから、その立場に行かなければ真実を知ることは出来ない。
2つの「なんてスキャンダラス」の聴こえ方に違いがあるのか、もう一度聴いてみて欲しいなと思う。
と言ったが、実は「なんてスキャンダラス」は2度ではなく、3度でてくる。3度目と言いたいのは冒頭に持ってこられたサビだ。結末を知っても彼女は破滅を選ぶだろうと述べたが、主人公にとっても同じことだ。
つまり、この「マーメイドスキャンダラス」というおとぎ話は繰り返されているのではないだろうか。
別の視点から見れば、このおとぎ話を本として、誰かが1度読んだ後、オチを知っている状態で読み進める2度目の話かもしれない。
「虚しすぎる、なんてスキャンダラス」に続いて、今まで2度繰り返されてきたギターリフが最後、途中で切れている。
それは、誰かが意図的に切り取った物語の痕跡なのかもしれない。
我々もPatrick Vegee__シェフが意図をもって材料を選んだコース料理__を嗜んでいる。
真実は、泡になった。