【DUGOUT ARCHIVIST】回る地球から追い、追い続ける君が作り出す新たな夢


※この記事は冒頭にmix元の記事、①ナツさんによる"【Word Craft will be continued】女神は未来を唄う【クローバー】"を記載しております。
コピー&ペーストの都合で実際の記事よりも行間が詰まっております。ご了承ください。
元記事はこちら。

こちら①もまた、私②てるるの"【Patrick Mojii】マーメイドスキャンダラスは現パロじゃない"をインスパイアしておりますし、本記事③回る地球から追い、追い続ける君が作り出す新たな夢も、②をインスパイアしたり対句を設定しています。
読まずとも楽しめますが、未読の方は②→①→③の順番で読むことをオススメします。

長くなりましたが、こちらはナツさん主催【DUGOUT ARCHIVIST】への参加記事です。
トレイラーはこちらです。

まとめ記事はこちら。




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「マーメイドスキャンダラス」を聴いて、おとぎ話の「人魚姫」を連想する人はきっと多いだろう。


"12時時計塔の下 新しいワンピースで"

"雨のせいでたどり着いてしまった 無機質なおとぎ話の結末は"

"そっと抜け出したパーティーも 大好きだったあの映画も"

では、この「クローバー」という楽曲を聴いて、とあるおとぎ話を連想する人はどれくらいいるのだろうか?

もし連想できたするのならば、おそらく答えはあまり変わらないだろう。

そう、あの灰を被ったお姫さまのお話を。

一瞬だけのパーティーの煌めきも、運命に導かれるような再会も…UNISON SQUARE GARDENというロックバンドの存在にリンクする部分が大きいように感じる。

ただ、マーメイドスキャンダラスのように密接なリンクやインスパイアを感じるといえば、答えはノーとなってしまうのかもしれない。

今記事の共作者であるてるるさんは、マーメイドスキャンダラスを人魚姫とは異なるが、非常に近しいテイストのおとぎ話を見ているかのようだと上記のブログで形容していた。

では、クローバーはどうだろうか?

いわば、創作の外である"第四の壁"を超えず、読み手としてそのストーリーをのぞいているのが前者であるとして。

クローバーはもっと身近な…近しい目線を覗くことができる曲であるように感じる。

"君がここにいないことで あなたがここにいないことで まわってしまう地球なら別にいらないんだけどな"

あえて、"君"と"あなた"と別の二人称を使っている歌詞。

君はきっと目の前の誰かを指しているような近い目線を感じるが、あなたは別のテイストであるようにも捉えられた。

例えば、過去の愛おしい記憶だったり、未来の希望に思いを馳せたり…同じ相手だとしても、どこか時間軸が異なるような違いも感じられたように思う。

君に近しい存在の軽やかさを感じるとしたならば、あなたは一聴では語れないような大切な強い気持ちがあるのではないだろうか。


そんな現在とその前後が交わる歌詞たち。

そして、そんな世界はいらないとはっきり宣えてしまうような意志の固さ。

どこか破滅的かもしれないが、それでも揺るぎない思いを感じざるを得ない純粋な思いは決して客観的な立場では吐けない言の葉であるのだろう。

その後に続く歌詞たちも…

"未来のパズルに続いてる"

"また会おうって言ったフローリア"

花の女神が未来への希望を紡ぐことで、その関係性が決して崩れることなく、これからも続くことが示されているようにも捉えられる。

気づけばその思いに感情移入してしまう…歌い手や作り手とリンクしてしまうような胸に灯る熱い何かを感じてしまう。

自分自身が曲の世界観の入り込こんでいくような…そんな没入感を味わっているのかもしれない。

"雨のせいでたどり着いてしまった 無機質なおとぎ話の結末は"

"今日になれば誰も覚えてないよ"

"ただひとつだけ気になることがあるんだが"

その結末はシンデレラのようにハッピーエンドなのか?

それだと、ある意味で無機質な結末になるのだろうか?

だとすれば、この曲もはっきりとおとぎ話とリンクしているのかもしれない。

文字通り…定型文すぎて誰の記憶にも残らないのかもしれないが。

そんなある種の諦めに近い感情も歌声からは感じられるが、それでも何かを伝えたい…そんな希望を醸し出す展開から最後の主旋律に繋がっていく。

何か諦めきれないような強い強いメロディに乗せられて。

そうして、1番のサビを繰り返した後に、最後にとある一節が加えられていた。

"「好きだよ」って言ったフローリア"

それは、大仰なおとぎ話ではあまり味わえないようなストレートな思いの結晶である。

きっとパズルみたいにバラバラで、完成系はまだ見えないのが現在であろう。

宝石みたいな煌めきも砕けていてはまだ価値を感じられないのかもしれない。

では、その結末は杓子定規な内容になるのだろうか?

答えはおそらくノーだと思う。

女神が愛の言葉を唄うのならば。

それは誰も見たことのない未来に繋がっているのだろう。

まやかしではない、生きる価値のある世界が待っているはずだ。

幸せな気持ちで"あなた"を見つめる。

そんな確かな未来が僕にはハッキリ見えた。


ナツ氏、2026.4.『【Word Craft will be continued】女神は未来を唄う【クローバー】』
















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"Sto riavvolgendo la molla del carillon."
最初まで、ネジを巻き戻しています…………

"Piano, con delicatezza, per non romperla."
ゆっくりと、壊さないように……

"Così che possa ricominciare a vivere…"
███、██████…




女神が唄う愛の歌。
それをオルゴールにして、ネジを巻いて、最初に戻したら?
女神は、大事にしてきたそのオルゴールを手に取って、アンドロメダという星の名から始まる物語の中に置いてあげたのでした。そうすると、それはまた、違った音を奏で始めました。

見上げるというのはなんてロマンチックなのでしょうか。地面がなければ、見上げるという行為はできないのです。宇宙に浮かぶ星には、星を見上げるという行為の楽しさが分からないでしょう。草原と星空のコントラストも知らないでしょう。目を閉じて、草原を踏みしめる音を感じながら、疲れるまで走って、走って、寝そべってみたら目の前が星の海だった、ということもできないのです。


今日は『女神は愛を唄う』の中で語られなかった部分の『クローバー』についてお話しましょう。これは星も知らないおとぎ話。
もしかしたら、地球という星に住む人には、『灰かぶりのお姫さま』のほど魅力的ではなく、当たり前の、現実の話に聞こえるかもしれません。
クローバーという植物は、基本的に3枚の葉をもちますが、それ以上の枚数をもつものがあります。


それはある3人の星追い達の物語でした。

アルキメデスが恋に落ちた 11月の約束の日
大人への境界嫌って星空と手を繋いだ
そのからくりで時を止めた まやかしじゃないその世界は
未来のパズルに続いてる

地球人なら彼のことを物理学者として知っている人の方が多いでしょう。彼は王様に頼まれて、職人に作らせた純金の王冠に銀が混ぜられていないか、壊さずに調べることになった、という話で有名なんだそうです。

彼は数学者ユークリッドに師事して、密度とか、てこの法則とか、様々な法則を見つけました。でもじつは、彼もまた、星空を測ろうとした星追いなのです。

アルキメデスは宇宙の大きさについてたくさん考えました。
彼の考えた"宇宙"は球体で、天動説を背景に、地球を中心として地球から太陽までの距離を半径とする球だったのでした。

11月はじめごろに星空を見上げると、もしかしたらオリオン座流星群が見えるかもしれません。
オリオン座は、地球人の肉眼で見ると、三等星以上の7つしか目につかないかもしれない。でも7は特別な意味を持つと言われています。7つ葉のクローバーの花言葉は「無限の幸福(Euphoria)」です。東の空の点から無数に光の軌跡が見えるのはまさに幸福だろうと思います。

流星群というのは非常に短い間に極大を迎えます。だから、もし一緒に流星群を見たければ、約束をしなければなりません。そして、そんな日に曇天になる、ということがあれば、さぞ、悔しいでしょうね。これは地球人の皆様はよく共感してくださるのですが、「雨雲に銃でも撃ってやろうか」と思うでしょうね。

1番よくみる3つ葉のクローバーの花言葉が「約束」であるのは、クローバーを目にする度に思い出して、約束の日を忘れないでいて貰うため、なのかもしれません。


彼はのちにプラネタリウムの原型をつくりました。実際の星の動きを見ることができる模型です。娯楽としてつくった星空「風」ではなく、再現したものです。彼は、人々が思い浮かべる夢だった星空を、1歩、真実へと近づけました。


同じようにプラネタリウムの原型である太陽系儀をつくった、
彼のあとに生まれた星追いで、コペルニクスが知られています。over driverを見てみましょう。

Yeah over driver 木枯らしに歯向かうコペルニクス
Yeah over driver ギリギリがよく似合うねパラダイム

また、over driverにはこのような言葉も。

Yeah over driver キザなガリレオが頭を狙う

ガリレオ・ガリレイは、コペルニクスの没後20年後に生まれました。アルキメデスと、その先生のユークリッドの本を読んで、医学から物理学などに転身して、ガリレオ式望遠鏡(ガリレオのショーケース)を生み出したのです。

転がり出してきた反転性の残像
ガリレオのショーケースは空っぽだ

反転性の残像とは、望遠鏡を表しそうですが、ガリレオ式望遠鏡は正立像で反転ではなく、事実をそのまま映し出します。もちろん受け入れたくない事実も。みなが信じなかった地動説を裏付ける証拠が望遠鏡だったわけですが、異端審問を受けて、彼のショーは終わってしまったのです。

君がここにいないことで あなたがここにいないことで
回ってしまう地球なら別にいらないんだけどなあ


異端判決後、彼がつぶやいたとされる言葉はあまりにも有名です。

"E pur si mouve "
(それでも地球は動く)


これが本当の発言だとしたら、証拠を見せられても、信じようとせず、地球は動いていないと主張する人に対して言ったという解釈になると思います。

ガリレオの主張を信じられなかった一般人に対し、彼らの信条を考慮しても愚かしいと思いますか?
(もちろん、民意の代表が私情を振りかざし、彼を処刑したのはあるべき姿ではないと思います)

君がいない地球なら要らない、という彼に、それでも地球は動くと呼びかけることができますか?
明日なんて来なければいいのにと、思っていても、明日が早く来ればいいのに、と思っていても、人間誰しも明日が同じ速さで来てしまうのです。宇宙に朝も、夜もありませんが、人間はそういう苦しみを抱えています。

夢ならば思い通りになるのにな


"La melodia del carillon sta rallentando…"
(オルゴールの音が、ゆっくりになってきています……)


ガリレオのその後が気になる人が少しいるようですね。彼は終身刑を宣告されましたが、実際は自宅軟禁まで減刑され、自宅にて、失明してもなお後世の星追いのために物理の本を残し、彼もまた星になりました。

地球の星追いたちの結末は未来に繋がっていました。限りある命を燃やして、次の星追いたちに繋げてきた軌跡が確実に残っています。

地球人はだれもが星追いでしょう。

人がみな持つ憧れ(星)とは次の憧れを生み、未来へ続く1つも欠けてはならないパズルのピースなのです。もしそのピースが闇の中に落ちていくとき、貴方は逃してはならないと手を伸ばすのでしょう。しかし、同時に変わるべき未来を変えるべきは、自分なのだと気づくのです。

憧れが変えた世界の中にいた自分が、こんどは世界を変えていく番だということにどうしようもなく気づいていく。
だから、そのピースが手元に無くなってしまっても、貴方の動力となり、未来のパズルには繋がっていくのです。

人は涙を流すとき、上を向く癖もあるといいます。
それはきっと、地球が明日も回り続けることを知っていて、なんとか立ち直ろうとしている姿なのです。



おとぎ話の「クローバー」はここで終わり。
それでもまだ貴方はただ一つ疑問に思うという所があるという顔ですね。

方法はあるでしょう。
千夜一夜物語の語り部シェヘラザードすらもおとぎ話として語られるように、おとぎ話の外側にも、またおとぎ話がある。貴方が女神のようにこのオルゴールに触れてみれば……何かが変わるかもしれません。


La melodia del carillon si sta spegnendo a poco a poco…
(オルゴールのメロディーが、だんだん途切れてきました)





"流星群"を見に行く約束をした。
確実にまた見に行ける保証もない。


美しい星の海を観に行くことはできたけれども、
雨雲のせいでその流星群は観えなくなってしまった。


だけど、もう一度。あの日に戻れたら。
楽しい、君とのあの日に戻れたら……




Vuoi che la riavvolga fino al momento in cui comincia a rallentare?
(音がゆっくりになり始めるところまで、巻きますか?)
https://namima.hatenablog.com/draft/entry/WEr5rocl9mgiTe0sVkBwuRbjeUE

【JET CO. PARADE】消えないちっぽけなキライ、スキへ近似

JET CO.という遊園地は意外とアトラクションごとのコンセプトが分かりやすい。"コンセプトが分かりやすい"ことがJET CO.を異質たらしめる所以なのであろうが…

さて、お久しぶりです。企画JET CO. PARADEに参加させていただきました。いつもありがとうございます。
トレイラーはこちらですわよ

記事まとめはこちらからじゃよ



私の担当曲であるキライ=キライは主催のナツさんにおまかせで決めてもらったものである。白状するとNG提出済みのズルおまかせです。おおむねマイナーキーはイケるし、他も好きなの多いが、なんだか嫌な予感がしたのでこうした。完全おまかせがかっこいいのに最後ちょっとダサくなってしまったな。

JET CO.の中で1番好きなのはとにかく共感できるコーヒーカップシンドロームだが、最後のオリジナル企画文ということもあり(サブマシーンは書くと思うけど…)、やはり自分の中でも異質な文となればいいな…というのが、不変を嫌うナツさんに通じたかもしれない。

キライ=キライはいつも書いているマイナーキーではあるが、私にとってはかなり異質である。なぜなら、私が「嫌い」だと口にすることが滅多にないからだ。もうこれは、体のメカニズムとして、出ないようになっている。



これは考察ではなく、キライ=キライに沿った私の思考の過程である。


たとえばわたくしが怒るときの原動力というもの。これは「嫉妬」と「正義感」しかない。怒っているときというのは大体全部これで説明できる。怒るきっかけの事象があるとして、その事象を発生させたのは他人であり自分に原因がまったくないときである…

しかし自分を傷つけられる時だと、怒りが起こるのではなく途端に自分に突き付けられたナイフを受け取って腹切り体勢に入ってしまう。どこかで自分が相手に迷惑をかけたと思っているからだ…。そして、私は人に嫌われたくないという思いが強すぎるのだ。

こうやって文章化するとどう考えても自分は考えすぎだし、もっと他人に「報復する」ことを覚えた方がいいと思うな。ということで、ワルなてるる、わるるになることが人生の目標である。
告白:私はずっとワルになりたかった。Melodix!で斎藤さんも仰っていたが、ネガティブなワードそのものは人を嫌な気持ちにするから、上手く毒を吐ける人は尊敬する。毒ってやっぱ面白いのだ。記事では理不尽にキレていた方が面白いしよ。


とりあえずこの後のために嫌いの準備体操をしておきたいので、てるるの大「キライ」な絶叫アトラクションシリーズを述べたいと思う。好きな天ぷらは何か、ナツさんの年の瀬ラジオのオープニングで回答したように、皆さん遊園地の思い出を冒頭に語る流れを作りたいなあ。是非この後の方はぜひ…


誰かの「好き」を否定したくないのでアンチコメントは書かない私だが、絶叫アトラクションはどう考えても「キライ」が許される趣味でしょう。だって怖がらせるのが絶叫アトラクションの仕事だし…と思って絶叫好きの友人らに聞いてみた。

なぜ好きなのか?絶叫好きという不思議な人達の構成としては絶叫が得意でスピードや高さを楽しみたい人はもちろん、中には絶叫が苦手で大嫌いだけどその恐怖を体験するために行っているので、嫌いだからこそ通ってしまうそうなのだ。

ということで、免罪符つきの絶叫アトラクションに対して自分が曲名をリスペクトしてアンチゲージを貯めていこうと思う。

3位 タワー・オブ・テラー
2位 スプラッシュ・マウンテン
1位 ハリウッド・ドリーム・ザ・ライド(USJ)

舞浜と此花??(東日本住みなので知らない)に、骨を埋めたいと考えている人には申し訳ないが、嫌いである。出来れば乗りたくない、連れの友人が乗りたいというのなら、友人の笑顔のために乗る。絶叫アトラクション全般苦手という訳ではないが、浮遊感が苦手すぎて、嫌いなもんは嫌いという感想になる。

そう、私がこれらを嫌いな理由は「浮遊感がある」、これただ1つに尽きる。他の演出は好きなのだ。タワテラやスプラッシュは待機列が楽しいし、ハリドリの音楽を聴けるシステムはとても新鮮で楽しいと思う。

たった1つの要素で全体が嫌いになってしまう。逆にその1つの要素は苦手だが、それを味わいたい人がいる。人間は好き、嫌いの間に、嫌いだけど離れられないがある。これは無視できない感情だろう。

それで、嫌いだけど離れられないというのは、極端な好きと嫌いよりも非常に普遍的なものだと気づいた。友人ましてや親友の中にも気に食わない、むしろ嫌いな性格というのが誰にとってもある。私の友人はハッキリものを言う人達が多く、私の好きな物に対しても気に食わなければバッサリ批評することが多い。私はそれについて、批評だと頭では分かりつつも批判だと、さらに自分の人格についての否定だと考えるようになっている。そうなると、彼女達といるのはとても辛い。

しかしこうして何か批評し合える語彙力と思考力を持つ友人は貴重で、だからこそ彼女らに相談をした時自分にない考え方で解決するため、彼女達が大好きである。要するに、一つ嫌いなことがあるくらいでは、人間を嫌うことはできないのだ。

高く高く昇っちゃえば
大小はわかんないぞ

というのは、嫌いに思った感情を無視する訳ではなく、全体でみれば気にするほど嫌いなことは大きくない(=嫌いではない)人間のことだと思っている。



しかし、自分に対しては違う。自分の嫌いな性格を見つけると、ジェットコースターのように自分が嫌いになってしまう。今まで生きてきて私は考えすぎる性格にずっと悩まされ、脳の記憶や知識は考えすぎだと静止しているのに思考を止められずにいた。自分で自分の首を絞める癖が大嫌いであった。これを友人に話したことがある。

さあ 話そう 本当のことを全部
それから始まるんなら

友人は、私のこのばちくそ面倒くさい性格が好きだといってのけた。人に嫌われたくないがために、考えすぎてしまう面倒な性格を親以外の人物に隠してきた。

しかし、さらにたたみかけるように、私が好きなところを貴方は自分で嫌いだと言っている、と文句まで言ってきたのだ。ばちくそ面倒くさい「考えすぎ」だからこそ、私が人を傷つけるようなことを言わない、しないという保障になっているのだそうだ。そんなの知ったところで、でもそれ、貴方のいいところでしょう、ということらしい。

こういった反応を受けて、私は自分をさらけ出す勇気を出してよかったと思った。これは後述のWINDOW開けるとキライ=キライにおいて大事なことを知ったために出た勇気である。

さて、この友人の理論を適用してみると嫌いなのにジェットコースターに通ってしまう論というのも、まあ分からなくもないし、発見もあった。

人間の人格は、ジェットコースターに例えるなら絶叫成分は嫌いだけど他が好きだから全体的に好きになる、と思っていたが、嫌いな要素すらも好きということなのだ。では、私の言っていたように1つ嫌いだと全体が嫌いになってしまうような例についても考えたい。

絶叫アトラクションから好きだと言われやすい「速度による爽快感」「高いところからの景色」「普段味わうことのない大きな遠心力」を排除するとどうなるか。

そう、お化け屋敷である。お化け屋敷は、恐怖しかない。普段味わわない恐怖というより、かなり現実味のある恐怖だ。高いところから落ちるよりも、いきなり角から恐ろしいものが出てくる方が有り得る。急カーブよりも、後ろから急に脅かされる方が有り得る。もうこれは、現実で得られない恐怖を味わいたいという理論が全く通用しない。

しかし、なぜ人はお化け屋敷に入ろうとするのだろうか?お化け屋敷を出た時、普段の外の世界がどんなに安全か思い知るからだ。夢から覚めた時、現実を知るのと逆である。人が現実を知るために夢を見るように、平穏を知るために不穏に飛び込むのだ。まあ、諸説あるだろうが…私はこう思う。

で、キライ=キライはマイナーキーであるが、恐怖を味わうジェットコースターでもなく、はたまたマイナーキーのくせに(meet the…?)メルヘンチョイスなメリーゴーランドやどう考えても回しすぎて吹っ飛びそうなコーヒーカップを歌うわけでもなく、お化け屋敷だろうと結論付けた。自己防衛のために、嫌いなものを嫌いだと分類するという行為は必要だからだ。そして自己許容でもある。どうでもいいと感じていた世界を、つまらない平穏に感謝することができる。


WINDOW開ける、キライ=キライはマイナーキーであるし、サビの歌詞が乱暴で警戒するが、「そんなに厳しくないぞ」「なら大分簡単だってさ」と、世界は意外と単純だということを繰り返している。
止まらない思考を武器にしてくれたのがユニゾンの楽曲であり、キライ=キライは理想の姿だといえる。

世界がどれだけ単純か?一つ嫌いという感情があったところで、大きく見ればそんなに影響を与えないということだ。嫌いはもはや良い影響を与えることがあるかもしれないということ。


私の考えすぎは今やこうして文章を書き、交流することに繋がっている。これも、私の嫌いだった性格が良い影響を与えている最たる例だろう。


だから嫌いと口にすることを極度に恐れなくても、たいていはなんかいい感じのメカニズムで世界は良い方向に回っていくのだ。考えすぎることを深く考えずに、生きていっていい。こうやって後先考えずにネガティブに書いた記事でもユニゾンらしいas you likeに着地するのだから。

考えすぎな我々文字書きに万歳!

【Populus Populus Prologue】既知の他人は再生のからくり

既知の他人は再生のカラク
こちらはいつもお世話になっているナツさんの企画【Populus Populus Prologue】に参加させていただいた記事です。

トレイラーはこちらから↓


露出した顔の高い部分に吹きさす冷風に、目が覚める。時計が指す時刻は見慣れた時間よりずっと早い。なんだか勿体ない気がしたが、かぶりを振って安息の世界から抜け出した。


今日は少しでも良くなっていればいいな。良いことだけが変わらなければいいな。願うことは我儘だろうか?寝惚けたことを言っているだろうか?
良いことが起こるときは良くないことが起こるという法則。綱渡りみたいに日々を歩く。毎日って質の悪いループだ。私、いや私たちは何を得て、何を捧げればそこから抜け出すことが出来るのだろう。


ループをこなすことは得意だった。だから私にはループの意味を見つめ直す余裕があった。言うなればこれはちょっとしたゲームである。同じようにループに嵌っている人間たちと協力する。そうやって作り上げた大きな存在はやがて、世界の当たり前になっていく。更に大きな存在を求められる私たちの生活は、変わらない。そういう惑星に生まれたのだから、しょうがない。せめて当たり前になれば、御の字である。


私はたまにそうやって積み上げたものが崩れる夢を見る。私は夢であったことに心底安心するとともに、自分がループはこなすものだと認識出来なくなってきているのを自覚した。それを誰かが責任感だとか、やりがいだとか、そう呼んで褒めたりするとこのゲームは更にのめり込めるらしい。彼らはそう言うけど、私はそうは思えなかった。みんなは笑っているけどもはやもう夢を夢だと認識できなくなっているように見えて、同じではなくなっていた。
私は孤独だった。


私はこのゲームを、飽きなくて、命を懸けたいと思えるものにしたかった。


世界を変えたかった。
ループから逸れるにはどうしたらいいかという問いは、彼らにとっては愚問だった。世界の流れに反していると言われるのは当然わかっていたが、それは答えになっていない。逸れるとそう簡単には戻って来れないとか、逸れたら肯定も賛同も得られにくいとか、それはそれは途方もない道であると口々に言われた。


当然、歓迎はされなかった。
なのに、私がループから逸れた日に、「頑張ってね」と後ろから声を掛けられた。目を見開いた。振り返ると、彼らの姿はもうなかった。
ループから逸れても、朝や夜はやってくる。昼夜歩き続けたから、ループゲームに浸かっていた身体は悲鳴をあげていた。自分がループを逸れたところで世界は何も変わってないし、世界の流れに従って歩いた方が楽だった。でも、ここでなら夢を見れる。世界が変わる夢を。静かで何もなくて自由なこの場所。


そう思ってやってきたのだけどもう疲れてしまった。何年歩いてここまで来ただろう。ループじゃないけど、際限のない、一本道だ。これも私が挑んだ所謂ゲームだと覚悟していたけれど、夢を紡ぐことがこんなにも難しく、熱量を保つためにこんなにも犠牲を生むとは。私は足を止めた。


ぼんやりと後ろを着いてくる足音。砂利道だったから足を止めるまで、聞こえなかった。
足音の持ち主はからっぽで、伽藍堂で、君は誰だと問いかけても答えは返ってこない。止まると、足音は止まる。動き出すと、また動き出す。何か下心があるのではないか、方面が同じだけなのではないか。歩くのが遅くてごめん。でも道幅は十分にあるから抜かせるはずだ。というか、抜かしてくれ。私は急ぎたくないのだ。それとも自分の腹の底を知って、抜かしたくても、抜かせないのだろうか。


どうせ諦めるついでだから、いいか。
私はループを逸れた時と同じように後ろを向いた。今度は姿は消えていなかった。もし私が今ここで走り出したら、君も走って追いかけてきそうだ。追いかけてきたって何もしないじゃないか。何もしないのにどうしてそんなに泣きそうな顔をしているのだろう?


「何かしたいことでも?」
「何か私にさせたいことが?」
「悲しい?」


何も答えなかった。
まさかと思い私は君に近づいて、その手に触れようとしたが空を切るだけだった。実体がなかった。でもさっき、足音は聞こえたはずだ。
「貴方について行かなかったことを後悔しています」
驚愕する私を見つめながら君はゆっくりと、一つ一つの言葉を吐き出した。
「だから、足だけが残りました」
「貴方を静観しているだけで十分だと思っていたのに、邪魔したくなかったのに。自我を得てしまいました」


今からやり直さないのかと、私は聞いた。
でも足だけでは無理でしょうと君は笑ったが、夢を語った。ずっと歩いてきた私よりも希望に満ち溢れていた。
それは久々に心地の良い夢で、世界をぶっ壊す夢だった。品性のある話し声と真逆の願望に、くすりと笑ってしまった。

「そうですね、いつかは____」

一瞬、脳裏に信じられない映像が過ぎった。これは何と聞いてもやっぱり君は微笑むだけだった。


なんだか勿体ない気がしたが、かぶりを振って安息の世界から抜け出した。君が目を閉じたのを確認して、私は前を向いた。
このまま行けばあの光景が見られるのだろうか。いつかその日まで、信じて初めての夢を思い出しつづけるのだ。



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急に物語調で困惑しましたね ほんとうにすみません
こちらは3 minutes replay の記事です。


さて、シングル「傍若のカリスマ」を引っ提げて2025年1月からスタートしたTour"Charisma×Princess"。ここに、3 minutes replayがセットリスト入りした。

武道館(2024/7/24)のMC

で、

"世界は別に変わらなかった"


と話した田淵さん。
3minrの「世界が変わる夢を見た だけど」はこの言葉に重なるが、私はMCを聞いて3minrは今後やらないような気がしていた。そのようにカリプリのライブを観たあとで同行者に話した記憶がある。

振り向いて下さいとは思っていなかったのに、後ろの私たちを意識してくれていたことが嬉しかった。それでも
「後ろの正面が誰だろうと最早知ったこっちゃない」
の方が確かに彼ららしい気がする。
だけどこのライブの時には、一度後ろを向いたから、もう必要ないという意味にきっと、変わっていたのだった。さらに勇気を出して言えば、後ろ、ではなく何か向心力のようなもので彼らに引っ張られていることで、「ともに中心」なのかもしれない。

中心は僕で、そして君


最後のセットリスト入りは9年前の武道館(2015/7/24)、"fun time 724"である。
このセットリストに「史上最高の赤の他人」とコメントをしている人がいて、きっとこの時の3 minutes replayも"そう"だったのだと思う。
赤の他人→→着いてきた存在の確認→既知の他人
へと3段階で変わっているのではないだろうか?


"Charisma×Princess"は20周年の企画ではなく、UNISON SQUARE GARDENが通常運転に戻ったあと一発目のツアーである。だから、20周年のMCに囚われていてはいけなかったのだった。



そもそもこのツアーのセトリには意図があるようなので、どこまで掘り下げればいいのかはセトリおじさんのみぞ知るところである。

当たり前だが、傍若のカリスマのツアーであるからには、主役を意識せざるを得ない。私は傍若のカリスマの「世界を変えるのさ」という歌詞が好きだ。乱暴な歌詞の中に諭すように入るこのフレーズが異質だ。変える世界はなんでもいい、ブルーロックなら現日本サッカー界を変えることから始まった。
この後「これが最終定理だ」と続く。なぜフェルマーの最終定理が最終なのかというと、他の命題は全部証明出来たけど、これだけは証明出来ず最後に残ったからなのだが、歌詞でも同じように「分かんないならいっそ弾いてくれ」と理解されないことの理解はあるようだ。

根底に世界を変えたい意識があり、変わらないと分かったが、前進するその力。私はどうしても3 minutes replayと傍若のカリスマを結び付けざるを得なかった。そういう点でもpopulus populusと傍若のカリスマは親和性があったのかもしれない。そんな訳で、傍若の歌詞も物語にちょっと入れてみたのだがお気づきになっただろうか?



物語にも触れよう。replayという言葉からループの着想を得て冒頭の物語を不器用ながら書いてみた。

どうしても考察にあたって最初はニュアンスしか掴めなかったことと、武道館のMCのことをなるべく意識せずに歌詞を元に書くことで偶然重なったところから発見出来るものがあるのかもしれないなどとと思って、慣れないことをやってみたのだ。

世界の理だから、結局ループ(円)の外にはループに近いものがあったけれども、replayの意味を考えると、この曲が描く軌跡は直線的なやり直しなんじゃないかと思えてくる。音楽をリプレイ再生するときのシークバーも直線だ。だから地球が回るような「円」とは切り離して考えるべきだと。


「君」の扱いは大変に難しかった。でも、replayしているのが誰なのかといえば、君かなと思っている。後悔しているのが君で、僕は先に行く、そんな姿を思い浮かべた。もう抜け出せない君の、曲自体に組み込まれてしまった君の後悔は僕が連れ出してくれるのかも。



我々も過去に心残りはあるかもしれないけど、
勇気を出して、Populus Populusの旅に出かけよう。

【CIDER R(EL)OAD】日進月歩で近づけるよ、どこからでも!


こちらはナツさん主催の企画「CIDER R(EL)OAD」の参加記事です。
今回も素晴らしい企画を彩る仲間に加えてくださったこと、この場を借りて感謝を申し上げます。

トレイラーはこちらからご覧ください。


今回の企画は今までとは一風変わり、記事のテーマをほかの執筆者様から提案してもらって書くというもの。面白い!
面白いけど、これがそもそも提案する側から難しくて苦戦しました。ただ…私が書かせていただいた「Miss.サンディ」の場合では、いただいたテーマが解釈のガイドラインになってくれました。テーマをいただいた翌日(1/28)の執筆者様にも、感謝を述べさせていただきます。

(1/28 加筆: 翌日を1/27と書いておりました。自分に感謝を述べてどうする。謝罪いたします。)


この記事を読み終わるときに、「僕」が少しでも愛おしく感じられたら、自分と重ねてくれたらいいなと思っています。










テーマ:あなたにとってその曲は何色?

おそらく他の執筆者様はテーマに対する答えや結論を記事全体を使って導くのだと思うが、テーマが開示されたとき、わたしはなぜそう思うか理由も分からないまま、口を開いていた。

これは感覚である。自分で出した答えにもはや混乱した。たしかに私の好きな色は緑だが青混じりのくすんだものが好き。でも頭に浮かんだMiss.サンディの緑は陽光に透かせるような新緑の色!もっと他にあるのではないか?そう考えたが、やはり答えは変わらなかった。まずは、聴いて感じた感覚に従って書いてみることにしよう。


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1. 近づく君との距離


Miss.サンディには「僕」の恋慕ともだもだしている思案がずっと香ってくるのは共感していただけるかと思う。見れば見るほど、ピュアというか素直な歌詞である。

未来の準備はそのまま いない、いるにこだわらせて、どうか!

花びら数えるだけの毎日


「僕」は好きな人が自分をどう思うかを「好き、嫌い、好き」と試す花占いのようなものに耽っているようである。いない、いる。未来の「僕」の隣に君がいるかいないかは興味しかないんだね。

ここなんかとくに素直な恋慕の歌詞だが、この歌詞の真骨頂は「距離の繋ぎ」なのだろう。物理的距離でも時間軸的距離でもそう。そこでこの歌詞をピックアップする。

離れているのに まだ同じ月を見ているから


Miss.サンディでで1番気になるのは対になるタイトル、MR.アンディとの関係性である。曲調は比較してみても、あまり関連性は感じられないように思う。アンディは明るさの中に少しセンチメンタルな色が混じった曲調、サンディは終始明るく、何かの始まりを予感させる爽やかさだ。

では歌詞の比較ではどうだろうか?

月が出るみたいです 君にはまだ見えないけど
一日そこらでできるような事じゃない、存外に


「月」が重なった。
月と恋慕について考えれば、「月が綺麗ですね」はすぐに浮かんでくる。

イコール貴方が好きですというこのフレーズを足がかりに考えると、MR.アンディでは、逆説的に月を見て「君」が思い浮かぶか、月が「君」と重なるか思案しているのかもしれない。
そしてその境地に辿り着くには一日そこらでできるような事じゃない、と続ける。

Miss.サンディを見る限り、結果的には、月を見て君を思い浮かべられているし、僕は君だけを…のように一途であることも伝わる。
「手を繋いでいこう」が「繋いだ手はもう離さないから」になっていることもそう。チャンスを得て、頭の中大事件になりながらも次の一歩を踏み出そうとしている。こういう重なりからもアンディとサンディは同じ時間軸と見てもよいだろう。
君との距離が近くなった喜びがMiss.サンディの曲調に滲み出ているのであり、それでもまだ繋がりが未完成だと示しているのが「君をもっと愛してるよ」なのだと思う。月が君だと解釈した上で見る「離れているのにまだ同じ月を見ているから」とかからもあまり会えてないのかな、と想像できたりする。

2.本当の自分

もう1つ、
Miss.サンディが素直な僕なら、MR.アンディは素直にいつかなりたい僕だ。

謎の救世主です 仮面はまだ取れないけど

カリソメローズマリー 嘘ついて消えた


君にはまだ見えないとか、仮面はまだ取れない、とかいつか叶うことを信じて、今の自分を茶化している。人一人を笑顔にするくらいならできると今の自分の長所をいいつつ、最後に「存外に」と付けてつい謙遜してしまう。

自信がないし、そもそも君とは距離が遠いから仮面を被って、本当の自分をさらけ出せない。きっとそうなのだろう。もし「僕」が素直になれたんだとしたらどんな感じ?繋いだ手が離れないように、ではなく「離さないから」、と思えている。我を出して積極的になっても、「親しき仲にも礼儀あります」とかつての慎重さを残している。ずっと幸せが続くようにと顔の前で手を組んで願う僕の癖だ。

___________


ここまでは月を「君」と解釈して、距離の縮まりと素直になれた「僕」について話した。
もし時間があるのならば、歌詞を1度見返していただいてもよいかもしれない。注目しているところ全てに触れることは出来ないので、解釈の幅が広がっていることを確かめて貰えたら、Miss.サンディもっと楽しんで貰えると思う。

___________

3.リンクする色

では遡って、本題である。
緑とはなにを意味する色だろうか?

私がこの曲に緑色を見た理由を探るために身の回りの緑のものを考えてみた。森林や草原など植物、青信号、Invisible Sensation、スカースデイル、LINE、かえる、エメラルド。一生懸命考えてもこのラインナップだったけど、これがきっかけとなり、アイデアを掴めた。

森林とは個の集合体である。1つ1つとして存在しつつ、周囲と調和して、全体は個を包括するようにパワーを持つ。
個と全体は相対する言葉なのに、森林を思えば当然、繋がっていることが当たり前に思えてくる。そこに距離はない。木を見るより森を見よともあるように、木は個よりも詳細という扱い方をする。
個である植物も、細胞の集合体だ。このように不思議な「当たり前」を想像させる緑は、恒常性を示していると考える人もいるらしい。心理学の意味で恒常性とは、「物の大きさ、形、色、音などは、距離、光の明暗などの条件によって違っているはずなのに、生理的刺激とは無関係に、ほぼ同じように感じられる傾向のあるさま」のことをいうそう。かのLINEは、「誰が見ても同じ理解ができる」ユニバーサルデザインの考え方で、緑をアプリのカラーに選んだそうなのだ。

では、「色」について同じように考えればこうである。色といえば、ユニゾンのシンボルとしてよく虹色が使われる。緑が指す「いつでも同じように感じられるもの」と「虹色」とは、相対する存在だろう。

そんな時こそリロードしてみよう。



こちら、本企画の主催者のナツさんが、前回企画「Catcher In The Relay」で書かれた「桜のあと(all quartets lead to the?)」の記事である。

"虹"は彼らにとって幸せの象徴のように描かれ、実際に照明などでも演出の山場で使われることが現在も非常に多い。
その見え方は世界で異なるが、日本では概ね"七色"であるのがほとんどである。


虹色は見る人によって見え方が変わる。だけど拡大して見た色は、「いつでも同じように感じられる色」に違いない。彼らの虹色を構成する曲たちは揺るぎないそれぞれの「色」を持っているみたいだ。

では、自分の中で、いつでも同じように感じられるものといえば「個性、自分らしさ」だろう。「意志や決意」でもいい。人はみんなと同じところではなく、その人だけが持つところに魅力を見出す。
自分に素直になれたMiss.サンディの僕だからこそ、幸せを感じられているのだ。そしてさらけ出した個を受け入れてくれたその状況こそが木と森の関係だ。



この曲の色は緑。
理由より先に結論が出た理由は、素直になった僕がみせた個性の色を、無意識に感じ取っていたと考えれば納得できるような気がする。


不思議な体験だ。きっと他の角度から見ればプリズムみたいに色が違って見えるのだろうけど、その人からしてみれば決まった1つの色なのだろう。


貴方はこの曲に何色を見た?
どこから見ても個性の色は美しいから。

慎重で心からのエールが口を衝いて【Catcher In The Relay】

【この記事をお読み下さり誠にありがとうございます。てるると申します。
こちらはナツさんの企画"Catcher In The Relay"の解決編5日目"君が大人になってしまう前に"の記事です。いつも大変お世話になっております。
トレイラーはこちら。】

summerday.hatenablog.com


1つ記事を書き終えられたら10日は脳がバグを起こしまともな日本語を喋れなくなると現実世界で主張している自分ですが、2つ記事を書いてみようと思います。CITS10周年、2つ書いたら2倍でユニゾン20周年だ!(安易なため息 shooting the MOON算をしてしまい、本当にすみません。)



はじめに:なぜこの曲なのか?

実は、同アルバム2曲目"シューゲイザースピーカー"を推理すべく重要参考人として招待させていただいた同曲ですが、元々これについてもメインで書かなければならないな、と思っていました。

私にとって君が大人になってしまう前には、曲を解釈し文章化する経験を初めてした曲です。というか、何を文章化したいか悩んで選んだのがこれでした。ユニゾンを好きになってから、ライブDVDか初めて聴いた曲の感想を「〇〇の歌詞のココがカッコイイ!」「ここのリフ好き!」みたいな感じで紙に書きなぐるとかは自分の初見の反応を後々楽しむためにやっていましたけど、文章にするのはこの曲が初めてでした。

未熟な自分なりに頭をひねって、「好きなものに対する自分の興奮を人に読ませる文章」を考えた経験でした。読書感想文とはまた全然勝手が違って苦戦したし結局自己満足になってしまっていたかもしれないけれど、楽しかったのを覚えています。それ以来1人で文章、とまでいかずとも文字化をすることをたまにやりながら、3, 4年くらい経ったある日、ナツさんの企画"Patrick Mojii"の提案、それから参加者募集をTLで目にしました。ブログ執筆なんてドが付く初心者でしたが、やりたい!と思いつつ、同時に躊躇もしました。

結局、背中を押してくれたのはこの君と大人になってしまう前にに向き合った記憶です。それからナツさんの丁寧な優しいフォローもあり現在楽しく文字を書けていますし、みなさんと文字の交流をすることができ、あの時トライしてよかったと今でも思っています。

じゃあその今、君が大人になってしまう前に Revivalを個人的にやりたい。同曲に対する感謝もありつつ、今回私がこの曲に向き合おうと思った理由です。




時系列的位置の確認


前回の記事に続く内容です。
読まれていない方でもお楽しみいただけるよう執筆しますが、前作と合わせるとより内容が分かりやすく、深まると思います。
確認したい方はこちらからお願いいたします。


まず前回の記事で、シューゲイザースピーカーと君が大人になってしまう前には共通点を持つと紹介した。そこで僭越ながら提唱したのがこちら。

「シューゲイザースピーカーは誰かを送り出すために夜に留まっており、君が大人になってしまう前にが迎えに行くと、やっと今日が明日になるのではないか?」

このシューゲイザーの部分については、(少々長いが)以下のように言及させていただいた。

(シューゲイザースピーカーは夜に留まる、その夜が表すのは…)
暗闇。何も見えないのは、行き先が分からないことを表している。シューゲイザーの「生きたい」という渇望からも、人生のことを言っているみたいだ。行き先が分からないからといって、人生に逃げ場など終ぞ存在がしないし、人生の暗がりの中で目印になるものや、遠くまで照らしてくれるようなLEDの懐中電灯って本当に必要なのだろうか?
確かに「こっちだよ」と方向を示してくれる存在はいたら心強い仏様みたいだけれど、彼は君が窮地に陥った時、希死念慮に襲われた時、絶対に助けてくれるのだろうか?傾倒し過ぎて、君の理想がおざなりになってはいやしないか?


「どんなヒットソングでも 救えない命があること」
「いい加減気づいてよ ねえ」


先程自分の心の声というのは弱く、小さいと言った。煌々と輝く強い光は君の声をかき消して、気がつけなくしてしまうかもしれない。
だから、自分の理想に気づく前には、明るい明日には向かわせることが出来ない。だからシューゲイザースピーカーは宵で迷い子を待ち受けているのだと思っている。彼を通り抜けられれば、出発のための明るい歌が迎えに来る。


では、君が大人になってしまう前にの部分について詳しく述べていく。


曲を擬人化して想像して欲しい。
君が大人になってしまう前に、は君が大人になる、なった時点の直前に存在している。つまり、この曲は君が大人に成長していく過程というよりかは、大人になる直前に過去の道程を振り返っているとも捉えられないだろうか。この曲の役割は長い長い旅路への出発前の手荷物確認、といった所だろうか。大人というのは必ずしも法律で定める成人とイコールではないだろうし、自分がこれから行く道を決断したのなら「大人になった」といえよう。

もしや貴方も苦しい道を歩んできたのではないだろうか?優しいから、「君」を同じように苦しませないように、何か助言をしてあげるのかもしれない。

君が大人になってしまう前に 何かを残さなきゃ あれでもこれでもない

親が、出かける前の子供にあれは持ったの、これは持ったのと呼びかけるように。でもそれは、子供がそれを「持っていない」と踏んで言っているのではなかっただろうか。親がリュック、鞄の中をわざわざ確認して「〜が入っていないよ」では、まだまだ自立しているとは言えない段階である。しかしその念の為の呼び掛けが、いつか段々君にとって必要なくなるときには、親は、大人は、君に対して見る目を変えることになるだろう。

同じように、今までシューゲイザースピーカーの助言を受けた迷い子が苦悩の末自分の理想を見つけ出し、歩む道を決める姿を見てきた貴方には、きっと「君」を送り出す準備が整っているだろう。
それが揃って初めて、「君」が大人になる直前という時点に存在する。


君が大人になってしまう前にの裏面

音数としていいという理由はあるだろうが、引っかかるのは大人になって「しまう」前にとした意味であるので、「大人」にさせたくない気持ちについて掘り下げる必要がある。


子供は大人に憧れるが、大人になるということは良いことばかりではない。
これはもう大人の皆さんがいちばん良く分かっていることであろう。同アルバムには「大人をなめるなよ 気楽に駄々騒ぎ」と滅茶苦茶にカッコいい歌詞が登場することでお馴染み「天国と地獄」が存在するが、大人の最大の魅力である「自由」の裏に潜む危険を躱す必要がなければ、このような歌詞は生まれないだろうしな…

先の提唱では時間帯の変遷によって明るい未来の到来を示唆しているように捉えられるのだが、それだけじゃない大人の世界を知っているのが君が大人になってしまう前に、なのである。君ならできる、行ってこい!頑張れ!で終わらせようとする曲じゃない。

笑顔の裏側 ばれないといいな 強く優しく見つめる

簡単に言えば、まだ大人にさせたくない。

「暖かい心でただ包み込んであげよう」いつか聞いた気がするんだよ できるだけしてるつもりなんだけど

暖かい心で「ただ」包み込むだけじゃないこともしたい、あるいはこの助言に疑念を持っている。

「君は君でいて」簡単に言えたなら 苦労ないよ だけどね

大人は「君は君でいて」はいけない時もある。仮に「君」が誰かに遅れを取っているとすると、誰かのサイズ似通らせる必要があると焦っている可能性がある。

こういった、リアルな側面というか生々しい感情が見え隠れしている歌詞が、何か忘れていそうな気がするあの悪い予感____旅への出発前に何度も何度も荷物を確認したけれども、「本当に必要なものはちゃんと持ったよね?」とよぎる____に近似するのだ。旅先なら忘れ物を購入して補充したり、取りに帰れたりする場合もあるが、それが出来ない人生なのだと考えたら、不安もひとしおである。


しかし…これらについて悩んだところで、これから大人になるのは「君」であって、送り出す貴方ではない。そしてもう、その悩みは必要なくなった。これから立ち向かうだろう壁も乗り越えられる「可能性」という名のリボンを、

・君は確かにもう受け取ってるから

そうだこんな日のため 君を見つめてきたんだからね

…きっと貴方はそれに気づいたんだろうな。そして、色々まだ心配の言葉をかけたかったけれど飲み込んだだろう。
それは、長い長い旅路への出発前の手荷物確認が終わった瞬間であった。


君が大人になってしまう前に まとめ


先の
「シューゲイザースピーカーは誰かを送り出すために夜に留まっており、君が大人になってしまう前にが迎えに行くと、やっと今日が明日になるのではないか?」

をなぞる言い方をすれば、理想を見つけた迷い子を迎えに来た「君が大人になってしまう前に」が手荷物確認をした。それが終わって、準備が全て整った「君」の旅路を照らし出したのは朝日だった。という風になる。

全てを見てきて、心から「君」の選択を信じて送ろうと決めた「君が大人になってしまう前に」は頑張れとは言わなかった。自分が「君」に助言もしなければ、「辛い時には〜するんだよ」といった命令もしない。助言や命令といった堅い言葉を使ったものの、君にかける言葉はすべてが心からの優しいエールになるはず。それでも「強く」生きてねというのが、この曲らしいエールなのだろう。

強く生きてね 元気でね


間違いなく、「君」を1番見てきた「君が大人になってしまう前に」が笑顔で送ることのできたエールが、1番沁みただろう。もう誰も介入する余地などない。

改めて申し上げるが、これは送る者の歌である。

遠くを見渡すことなんてできないよ、だから【Catcher In The Relay】

UNISON SQUARE GARDEN 20周年おめでとう
追いかけるようにCatcher In The Spy10周年おめでとう
お祝い、いっぱいだね

【注意:この記事はシューゲイザースピーカーに会ってきたと急に喋り始めるなどオタクの特大妄言で構成されています。なお、Tour "Catcher In The Spy"のセトリに一部言及しますので、記事途中で一度目を通していただけますと幸いです。覚えている方は大丈夫です。】


リバイバルツアーが時代を追いかけるように、きっと今日の日もいつか来るよね。焦点がここに合って、絞られていって、もはやこの記事のための鍛錬というのならそれを続けてこれたのか?意味を持たせることが出来たか?自問自答を繰り返して答えは出ませんでした。
だけど、Catcher In The Relayはやってきました。期待と焦りの心中、主催のナツさんにシューゲイザースピーカーに向き合わせて下さいとお願いしました。そもそもCITSには熱烈な信者が多く、「素人質問で恐縮ですが…」とか聞かれた時点で死亡確定フラグが立ったり、炎上しやしないかと心配する気持ちがない訳でもないですが、自分だってシューゲイザースピーカーのオタクの1人である、自分の育ててきたものを披露しようと心に決めました。


【今回もナツさんの企画に参加させていただきました!いつもありがとうございます。】
summerday.hatenablog.com


シューゲイザースピーカーに向き合うと改めて考えたら手に汗を握った

これは【Patrick Mojii】マーメイドスキャンダラスは現パロじゃない - TOsuiko’s blogでもお話したが、実際アルバムの2番目というのは田淵さんにとって、重要な立ち位置であること、特にらしさという点において特筆すべき曲が並んでいるのは周知のことであろう。誤解なきよう述べると、えこひいきではない。ただ、どうにも彼らと対面すると手に汗を握る。

きっとこれらはユニゾンがユニゾンに贈った曲である。1番目の曲が個性を光らせながらも真っ直ぐな思いで投げた球を2番目はどうするか?2番目はその気持ちを受け取ると、そのアルバムの名前を背負う覚悟で力強く立ち上がるんだと思う。
またある2曲目は、散弾銃のように拡散したがる個性豊かなトップバッターを1点にまとめ、会場の興奮を操るかのように出番を始める。そういった、私たちが普段楽しむライブ(生)の体験を見せてくれる。
そしてCatcher In The Spyの2曲目は「精査中の雑多my song」、前作の揺れ戻しをかけるべく、Jポップにケンカを売るためにそうやって精査されたことを叫んでいる。


今年の4月にはあの、待ちに待ちまくったCatcher In The Spy Revivalが開催され、この企画に参加されている方の多くが走馬灯.mp4を蓄えてきたことだろうと思います。私もWINDOW開けるのラスサビ前「神様の思し召し…なら」で逆に走馬灯を見るところでした、そんな話は置いておいて、

【2014ツアーのセトリです。お借りします】
sugarbitter.hatenablog.com


死んでる場合じゃない。その後にシューゲイザースピーカーに会うのだから。CITSの修行僧が存在するならばいいのだが、彼に会うためのふさわしい心の用意、覚悟って、誰が教えてくれるのだろう?
私にとってはそれが、WINDOW開けるだった。

「史上稀にデリケート」


誰が…?
その先にはシューゲイザースピーカーが立っていた。





シューゲイザーに会ってきたけど…


まず断言させていただく。シューゲイザースピーカーの相棒はサイレンインザスパイである。野球なら1番と2番、彼らはバッテリーだ。サイレン君がパワーピッチャー、納得。彼らの関係を表す言葉ならいくらでも述べられるのだが、性格、態度で言えばずぼらで治安の悪い雰囲気、だけどもやんちゃな笑顔のサイレンと、伏し目がちで話を聞く優等生シューゲイザーが肩を組んで歩いている姿。容易に想像出来る。
シューゲイザーだって決して友達が少ない方ではないが、周囲の人の話題に上がりやすいのはサイレンの方だろう。そして勝手に性格の評価が始められて隣にいるシューゲイザーに視線が移り、「シューゲイザーは打たれ強いよね、興味なさそうな感じ、かっけえ笑」なんかと言われて、彼は一瞬の沈黙の後、乾いた笑いで返してそうだ。

シューゲイザースピーカーはきっと周りには「何も気にしない」ように見えているし、そう演じているのだと思っている。彼にスポットライトが当たることはあまりないのだろうし、彼自身もそれを望まない振る舞いをしている。
対等に肩を組むサイレンインザスパイの前で発言権を持ったとしても、自分が胸に秘める熱情を曝け出すことはないのだろう。

ある時、WINDOW開けるがたった1人舞台の上で大口を開け、「史上稀にデリケート」と誰かに向けて言った。シューゲイザースピーカーを解釈しようとするのなら、その閉じた人格を開こうとしてくれる誰かが必要なのだ。つまり、ここからは他曲を使って解釈していきたい。ユニゾンのセットリストはもはや小説である。セトリに、音楽体験以上の意味が込められていることは確実だからきっとこの道で合っていると思う。Ninth Peelでもやってるしな…この2人(曲)…
(先月の武道館の公演を終えて、ナツさんの企画の歴代参加者の中で都合のつく方々が下北沢に集った。いわゆるオフ会である。そこで「もう君に会えない」〜「夏影テールライト」の繋ぎは、「夏影」の意味が変わるという話をされていた____いる!絶対いる!同様にWINDOWで意味が変わるシューゲイザーは居ると思っている。)




重要参考人1「WINDOW開ける」から始める推理


CITSツアーではアルバム通りの曲順でなく、サイレンインザスパイは黄昏インザスパイとバディを組んだ。 彼らはHatch I needとマーメイドスキャンダラスのような絶対的バディぐらいの関係性に私は思っていたのだが(パトベジの居ない時間軸に作られたセトリだけど許して欲しい。時間の法則が乱されたということで)、確かに名前が双子のような彼らも最高のパフォーマンスをしてみせた。
そうなってしまうと相棒のサイレンはもう出番を終え、シューゲイザーは1人ぼっち。いざ1人になってみると心細いから困りもので…そう思って観客は彼に同情の目を向けたが彼は、口をおもむろに開けた。その眼光は相棒とはまた違う様子でギラついていた。

「響くもの全部持ってこいよ 俺はそんなに厳しくないぞ」

「審議天秤持ってきてよ バランスを計りたい、なんて言う
あなたのバランスなんて聞いてない そうでしょ」


つまりはWINDOW開けるが同類であるゆえに、あるいはシューゲイザーの心中が痛いほど分かるゆえに伏し目がちのシューゲイザーを煽り目を覚まそうとしているのだと思う。そう考えたらシューゲイザースピーカーの歌詞は人格の解放のようにも見えてくる。…あなたはこう言いたいんでしょ、ええ、ええ分かってます、と。彼は何も気にしない訳でも、何に興味がない訳でもない。誰より強い理想・感情が詰まってる。ただ不安に苛まれて、前が見えなくて目を凝らしても次の足の踏み場しか見えない。何が彼をそこまでして閉ざしてしまったのか?
閉ざしてしまった心をどうやって開くのか?

シューゲイザースピーカーを鳴らせ」
彼が何度も使う、強い言葉に何か隠れているはずだ。

まず、彼が鳴らせというスピーカーの基本原理を述べる。
電流を発生させるとフレミングの左手の法則により別方向に力が発生するので、それでコーン紙が振動して空気を押し、結果音に変換されるというものである。
ここから柔軟に考えると電流は人間にとっての血潮ともとれそうだ。音はそのままの自分の声、エゴだろう。

そしてシューゲイザーの意味。シューゲイザーオルタナティブ・ロックの1ジャンルとされるが、ここでは元々の意味を重視したい。
シューゲイザーという言葉がメディアで使われたのは、イギリスのあるバンドのボーカルが、足元の歌詞カードを凝視して歌っていたことから揶揄を込めて「靴を見つめる人」と表現したのが始まりだそうだ。ニューヨークタイムズは、「ペダルボードエフェクトの多用のために常に足元に目を落としている演奏者の姿を表現したもの」と紹介している。(Wikipediaシューゲイザー」「意味・起源」の項より引用)

スピーカーの原理からしても、ペダルボードエフェクトを利用すると実際に観客に聴こえている音声というのは、自分の声や楽器の生音からどんどん遠ざかるのは想像に難くない。
マイクを介し電気信号に変換、エフェクトでさらに変換した信号をスピーカーに流して発生する力によって空気を振動させて音を出す…とにかくエフェクトが呼応すればするほどスピーカーの思考は複雑になるのだ。

しかしそれとは真逆に単純化するものがある。

「足元が見えるか?純粋化する思考回路」

エレキを使う人、PAの経験がある人、アンプリファーを触ったことのある人は知っていると思うが、アンプリファーには高音域を強めたり、低音域を強めたりする機能が付いている。エフェクトも同様、「自分の出したい音を出す」ように好きに操作することが出来るのである。自分はドラ厶担当だったので詳しく書くことは出来ないが…きっと経験したことのある人は分かる。とにかくこれが楽しくてたまらないのだ。

「始まるはず 命が歌い出す高揚感」

重低音域を強めてブリブリのベースを思いっきり弾く時、自分の表現の幅を広げるためにエフェクトをカスタマイズして最高の音ができた時。難しいことなんかどうでも良くなって、大好きな音に思いを馳せる。そもそも、スピーカーやアンプリファーは「増幅器」。スピーカーは「話し手」でもあり、自分の心の声を大きく、大きくして、誰かに聞かせるためにある。自分の声を聞くために使ったっていい。

サイレンインザスパイという相棒と1度離れたのも、彼が心の声を聞きたかったからのかもしれない、自分の欲望に忠実になるためだったのかもしれない。
史上稀にデリケート。自分の生の声というのは小さい。弱くて何が悪いんだ?強いなんて言葉で蓋をして、自分や人の声を聞こうとしなければ理想を追うことも出来ない。

彼が自分の打たれ弱さを知って、心を開こうとしてやっと使うことが出来るのがスピーカーなんだと思う。

「生きる証拠実感したのは誰だ?」

「精一杯瞬間を生きたい
誰にだって そうだって 与えられた基本原理」



重要参考人2「君が大人になってしまう前に」


同アルバムから重要参考人として来てもらった。
迷い子を導く光の象徴にも思える同曲だが、実はここまで伏し目がちと紹介してきたシューゲイザースピーカーとの共通点は多い。
「明日が来て」、「全昼夜信念」など、時間帯の変遷を表す言葉がシューゲイザーにはあり、君が大人になってしまう前にも「朝日が照らし出した君の旅路」とある。
特に注意して欲しい点は、シューゲイザーは曲中で実際には明日を迎えていない(であろう)ことである。なんとなく理解していただけるだろうか?

「今宵も無心に行くのは誰だ?」

「も」とあることからシューゲイザースピーカー自身は夜に留まり、あるいは取り残されて同じく声の小さい誰かを毎夜送り出しているのではないかと考えている。「鳴らせ」とか「いい加減気づいてよ ねえ」、「足元が見えるか?」とか、強めの命令形が多いから、「君」の存在は否定できない。

このことからこのように提唱したい。重要参考人1とはまた全く異なるアプローチにも思えるが…

シューゲイザースピーカーは誰かを送り出すために夜に留まっており、君が大人になってしまう前にが迎えに行くと、やっと今日が明日になるのではないか?」

これは君が大人になってしまう前にの解釈ではないので彼についての詳細は省くけれども、シューゲイザースピーカーにとって時間帯は大きな意味を持っていると踏んでいる。
夜が何を意味するか?

暗闇。何も見えないのは、行き先が分からないことを表している。シューゲイザーの「生きたい」という渇望からも、人生のことを言っているみたいだ。行き先が分からないからといって、人生に逃げ場など終ぞ存在がしないし、人生の暗がりの中で目印になるものや、遠くまで照らしてくれるようなLEDの懐中電灯って本当に必要なのだろうか?
確かに「こっちだよ」と方向を示してくれる存在はいたら心強い仏様みたいだけれど、彼は君が窮地に陥った時、希死念慮に襲われた時、絶対に助けてくれるのだろうか?傾倒し過ぎて、君の理想がおざなりになってはいやしないか?

「どんなヒットソングでも 救えない命があること」
「いい加減気づいてよ ねえ」

先程自分の心の声というのは弱く、小さいと言った。煌々と輝く強い光は君の声をかき消して、気がつけなくしてしまうかもしれない。
だから、自分の理想に気づく前には、明るい明日には向かわせることが出来ない。だからシューゲイザースピーカーは宵で迷い子を待ち受けているのだと思っている。彼を通り抜けられれば、出発のための明るい歌が迎えに来る(ツアーでは、「harmonized finale」)。

彼は小さなヒントを迷い子に与える。自分の声を増幅させて聞いてみなさいというヒントを。それはもう電球ぐらいのほのかな光だけど、暗闇の足元を照らすには十分だ。自分の声が聞こえればそこに向かって無心で行くだけだから。
「迷わず歩き出せ 1歩ずつ 1歩ずつさ」
これは、自分の声が聞こえなければ出来ない行動のはずだ。シューゲイザースピーカーも「足元が見えるか? 見えるなら万事十分だ」と言う。足元が見えればいいというのは、裏を返せばよく注意して、確実な1歩を踏み出して欲しいという意味なんだろう。



落ち着きのないまとめ

暗い時間帯をテーマにするのは何も、シューゲイザースピーカーだけではない。流れ星を撃ち落せ(夜)、何かが変わりそう(夜)、天国と地獄(夜遊び)、黄昏インザスパイ(宵)など。
逆にポップナンバーが魅力のCIDER ROADは、昼中のイメージがある。それもそのはず、田淵さんは前作CIDER ROADによってできたユニゾンのイメージを1つ阻みたくて、このアルバムが構築されていったからだ。こっちは電球だが、あっちはシャンデリアです。

ジャケットからしてCatcher In The Spy自身がこの時間帯をテーマにしているように見えるし、このような視点で見れば新たなシューゲイザーのバディが見つかるかもしれない。あ、でもやっぱり自分はサイレンインザスパイと一緒がいいな。超絶怒濤の最強バディは絶対この2人ですよね。ああ絶対は有り得ない?そんな…。
WINDOW開けるの後にシューゲイザースピーカーが来るのを知ってても、実際に観るまでシューゲイザー打たれ弱いとか思ったことなんかなかった……シューゲイザーいたもん、本当に…NHKホールに立ってたもん…この目で見たからなんだもん…

最後に、夜に留まるシューゲイザースピーカーが、迷い子にきっと掛ける言葉を考えまして記事を終わります。次の解決編は桜のあと(all quartet lead to the?)です。誰がどんな記事を書いてくださるのか超楽しみです。

改めて、Catcher In The Spy、10周年おめでとう!



…………


前作が昼中だとしたら、今作は宵だろう。
誰かの落とした影や暗闇なのかもしれない。逃げ場もなくその暗闇の中を行かなければならないのなら、この灯だけ持って行きなさい。これだけは手放さないように。

その先に燦然と光り輝くみんなが大好きなヒーローも、憧れに変わりそうな執心の対象も無くたっていい、知り得なくてもいい。次の足の踏み場しか見えないような、電球のかすかな光で十分だから。でなければ自分の理想にも、生への渇望にも気付けない。そうしてやっと拾い上げた希望と苦悩の全てをもって、朝日が君を迎えに行く。

焦るな、足元が見えていれば十分だ。

毒蛇が示すその先に【Ninth Pencil】

スペースシャトルが打ち上げられ、銀河旅行でダンサブルムードを楽しんだらチェーンソーでベータ=エレをぶった切られ急転直下。
着地地点はエゴイストの住処で、何とか振り払って超気持ちよくなったら、アフタヌーンのビスケットをいただいてやっと一息ついたところでしょうか。

Ninth Pencilの旅もそろそろ後半戦に差し掛かる、六曲目です。
これからもいろいろな「仕掛け」が出てきますが、私の役割はNihil Pip Viper、彼が皆さんをどうするつもりなのか、それについて紐解いていくことです。曲の中に答えはあるのですが。

今回もナツさんのBIGな企画に参加させていただきました。
いつも本当にありがとうございます▼
summerday.hatenablog.com


Nihil Pip Viperが特別な理由

Nihil Pip Viper。
Ninth Peelのコンセプトができる前から存在したらしい彼を語るにあたり、アルバムの中の位置づけというより、彼自身の出自についてスポットライトを当てないわけにはいかない。
毒蛇の名を冠する彼の役は、前アルバム「Patrick Vegee」の全国ツアーを行うにあたって、開催前の「派手な仕掛け」として最後に放たれたシングル曲だった。

しかもタイアップ先の名前が見つからない。
物好きたちには困惑と期待があふれた。これは流星のスコールぶりである。シングル=タイアップのイメージを覆すようで、うれしい気持ちもあった。Nihil Pip Viperは創造主によって存在のみ明かされ、堅牢な箱に閉じ込められて開けることができないかのように、「おあずけ」の期間があった。
しかも毒蛇の名をもつためか、その放つ不穏さからユニゾンのダークな曲調に期待するファンも多かっただろう。
Nihil Pip Viperは2021年10月。その前のシングルPhantom Jokeが2019年10月。まる2年の間隔があったのである。その間にアルバムの発売があったとはいえ、喉から手が出るほど欲しかった新曲で、それもタイアップでない(=別の人の物語が創作に干渉していない)。言い換えればユニゾンが完全に、好きなように、自由に遊べる楽曲ということで、一日千秋の思いで解禁を待ち続けたのが記憶に残っている。

「あせらずとも、ツアーでやる」
と言われたが、解禁日にしっかり聴いて、曲調の底抜けの明るさに泣きそうになったのも覚えている。


そう、思えばこの頃はロックバンドが彩を失った、最も不自由な時期だった。

3密、濃厚接触飛沫感染予防、緊急事態宣言による外出禁止令。
楽しみにしていたライブが二度と帰ってこない思いもした。
ロックバンドとその周りの大人たちが沢山の決断をして、世間の目にさらされながらも開催することができたパトべジだって、全てのファンが行く選択をできるわけじゃなかった。




そんな中ロックバンドがただ新曲を出した。

ドクターストップだろうが構えは崩さず
今日もしゃにむにfake show


「ただ」でこんなに救われることがあるのかと思った。音楽は今日も、これからも息をするのだと希望の光が差した。
そしてこの曲を再生すると、4分4秒にこれでもかと詰め込まれた喜びが飛び出してくる。
底なしにハッピーなサウンドと爽快感が全身をかけめぐるような刺激。


それは休みなく繰り広げられる単語の連撃によって生み出されている。

(make me hazy この際)
Oh エマージェンシー やばくなってる

「詰め込まれた」感が分かりやすいのはこのあたりだろう。歌詞が決められたメロディーの上で最大限踊っているのは制限された箱の中で自由に飛び回っているようである。こじつけのようだが当時の状況を踏まえた意味をこの曲に見出したいのだ。曲を出せるとなったとき、貯めておいた数々の曲からNihil Pip Viperが選ばれた理由とともに。



さてこの刺激。体験したことあるような、ないような。そう思わなかっただろうか。
私はその「ある」「ない」といった対比の関係を大切な2つの要素として考えている。

この曲は、どこかで聞いたことのあるフレーズの登場から、肘で茶を沸かしてみたり、素直かと思いきや斜に構えてみたり、くねくねとかわして掴みどころのないところまで、隅から隅まで「ユニゾンらしさ」にあふれている曲だと思う。ああこの感覚、ユニゾンはこれからも続いていくのだ、と思わせるようだった。しげきの「き」でわっと各楽器でサビに入るのがアンサンブルの良さを増幅させているので、バンドらしい。(Dizzy Tricksterなどもこれが主役級に使われているが、少し違うアプローチである)
全部楽しい!全部楽しい!が切実に、ユニゾン


しかしながら新要素もあるわけで。曲調が目まぐるしく変わるところでこの曲の個性をいくらでも語ることができる。
たとえば2番はじめの早口のところ、Invisible Sensationに似ているように思うかもしれない(構成的にも)が、あちらは常時エマージェンシーなのに対し、こちらは早口の最初はわりと平和的で、error!の転換点によってえげつない例の連撃が飛んでくる。表現として音素を抑えることもあるが、表現の進化ととらえてもいいんじゃないか。

彼らはどれだけ引き出しを持っているのだろうか。このようなことができたなんて知らなかった。そんなことを新曲を聴くたびに思う。アルバムにはなんとなくテーマのまとまりのようなものがあって(CIDER ROADを受けて、CITSのロック・バンド要素を強めた、など。ただし、今作Ninth Peelにテーマのまとまりはないとしていて、それが特徴になっている)、単純にアルバム間での比較はできないが、アルバムごとに表現の幅を広げ、進化を遂げているといえる。

これは実に喜ばしいが、懸念もしてしまう。
彼らがこれ以上進化してしまったらどうなってしまうのか?と。
ニゾンの進化は等加速ではない。我々の期待、予想、創造しうる領域を超える速さ以上で、進化を遂げていく。
速度だけでなく、別のベクトルへも手を伸ばしていく。

たしかこれはスカパラの谷中さんが言っていたと思うのだが(出典を後ほど載せます)、ユニゾンを例えるならよく尖らせた色鉛筆であったり、複雑な建築物であったりすると。複雑で、鋭敏で、美しい。

冒頭と同じようなことをもう一度述べる。
Ninth Pencilでもクソデカ(…物理的に?)な進化をみせた。スペースシャトル・ララバイで全世界の聴者の感情をかき回し、銀河まで飛ばしたら、全人類に惑星の恋心を特大カミングアウトしてしまう暴挙。おいおい、どうなっちまうんだよ…と。

彼らのその先

じゃあ、本当にユニゾンはどうなるのか。
色鉛筆を尖らせ続けたら、ガウディも仰天するほど複雑な建築物を高く高く増築させ続けたら?
宇宙のその先はどうなっている?

例えば

蓋然性合理主義なんて ガキの遊びだわ
さっさとお家へ帰れ!

とか例の曲を破壊するフレーズ。


先ほどまで私が散々繰り返してきた「らしさ」だが、ユニゾンは「らしさ」を否定する。

進化の先は崩壊である。
色鉛筆の芯は折れてしまう、あるいは建築物がバランスを保てなくなって倒壊するかもしれない。削っても削っても折れないのだときれいごとを書くつもりはない。

じゃあ彼らはというと、「ユニゾンといえば○○」などとらしさのようなものが固まってしまう前に、わざと彼らの手でぶっ壊してしまうのである。
あるいは折れたり倒壊するまでわざと全力でやってるのかもしれない。どちらにしても卍崩壊上等卍なのには違いないだろう。

だから、ユニゾンが時折見せる尖りすぎた芯に、心配することはない。
私が言える立場では全くないのだけど、音楽がそう語っているので安心してほしいのだ。
だって、心配せずともまた1から色鉛筆を削りはじめるのだから。我々が想像するより数十倍も早く、まだ見たこともない新世界を描く芯ができあがる。

そう思わせる曲だ。

田淵氏は「なんでこの題になったかわからない」と言っていたが、私はその凝り固まり【らしさ】こそが毒蛇であり、とぐろなんじゃないかとひとまず結論づけた。


蛇の正体こそ


さて、蛇というワードを改めてちゃんと出したところで、生物としての蛇を調べてみた。
その結果かなり面白いことが分かった。以下ヘビ - Wikipediaからの引用。

・ヘビの歯は、くわえた獲物を逃がさないよう先端が内側(のど)に向かって曲がっている上に細い
・大型の種類ではシカ、ワニ、ヒト等を捕食することがある

(項目「文化の中の蛇」)
・脱皮をすることから「死と再生」を連想させる

あとは

・尾をくわえたヘビ(ウロボロス)の意匠を西洋など各地の出土品に見ることができ、「終わりがない」ことの概念を象徴的に表す図象としても用いられていた

やはりこれである。


そこまで田淵氏が考えていたかは分からないが、蛇は狙った獲物を離さず、死と再生、終わりがない=循環の象徴であることを示唆している。
曲調、フレーズだけでも崩壊と再生を思わせるのに、ヘビの特徴を並べたら、なんだよ、答え合わせになってしまったじゃないか。

これも一応断っておくとヘビの特徴のはずなんですけど

・威嚇もなくかみつく攻撃的で危険な毒蛇もあり、不用意に近づくのは危険である


…知らないうちにWikipediaの項目がUNISON SQUARE GARDENに?
心当たりのある曲がちらほら浮かんでくる人もいるのではないだろうか?

あまりにも有名なケースだがロックフェスに来た人が、ユニゾンの有名曲ぐらいは知っている状態で「次ユニゾンか!シュガビタとかやるかな~!」と近づいた瞬間である。

ド頭一発
「君がもっと嫌いになっていく~!もっと嫌いになっていく」

申し訳ないが、これは毒蛇。Cheap Cheapの兄さんが毒なんじゃなくて、威嚇(MC)もなんもなし入場して即ぶっこんできたことが。
ド頭一発じゃなくとも「ユニゾンの演奏が楽しそうだったから観に行ったら」確実に噛まれる。これはもう田淵氏の計画「初めて聴いた人にも何かしら印象が残るように」を達成している。

近づけば噛まれるし、くわえた獲物(もとからのファン)も逃がさないヘビ。
って言っても世界中の誰よりも楽しそうに演奏しているところを見せられたら、彼らに近づいてしまいますよね。
そりゃ危険な毒蛇だ。近づいたらもう逃げられなくなっちゃうんだから。

警戒して毒蛇の名の曲に近づけば、有限のメロディーの上で、楽しさを余すところなく、気持ちよく表現したサウンドに包まれて、抜け出せなくなる。

逃げ切れるのかな?
締め付けてやるぜ

毒蛇と人間は、ユニゾンと聴者の在り方のようではないか?

「ロックバンドが新しい曲を出した」
それだけでこの曲への導入なんて十分だ。
こうやって、これからも続いていくことを示唆してくれるから、私たちもずっとユニゾンを愛すのだろう。