毒蛇が示すその先に【Ninth Pencil】

スペースシャトルが打ち上げられ、銀河旅行でダンサブルムードを楽しんだらチェーンソーでベータ=エレをぶった切られ急転直下。
着地地点はエゴイストの住処で、何とか振り払って超気持ちよくなったら、アフタヌーンのビスケットをいただいてやっと一息ついたところでしょうか。

Ninth Pencilの旅もそろそろ後半戦に差し掛かる、六曲目です。
これからもいろいろな「仕掛け」が出てきますが、私の役割はNihil Pip Viper、彼が皆さんをどうするつもりなのか、それについて紐解いていくことです。曲の中に答えはあるのですが。

今回もナツさんのBIGな企画に参加させていただきました。
いつも本当にありがとうございます▼
summerday.hatenablog.com


Nihil Pip Viperが特別な理由

Nihil Pip Viper。
Ninth Peelのコンセプトができる前から存在したらしい彼を語るにあたり、アルバムの中の位置づけというより、彼自身の出自についてスポットライトを当てないわけにはいかない。
毒蛇の名を冠する彼の役は、前アルバム「Patrick Vegee」の全国ツアーを行うにあたって、開催前の「派手な仕掛け」として最後に放たれたシングル曲だった。

しかもタイアップ先の名前が見つからない。
物好きたちには困惑と期待があふれた。これは流星のスコールぶりである。シングル=タイアップのイメージを覆すようで、うれしい気持ちもあった。Nihil Pip Viperは創造主によって存在のみ明かされ、堅牢な箱に閉じ込められて開けることができないかのように、「おあずけ」の期間があった。
しかも毒蛇の名をもつためか、その放つ不穏さからユニゾンのダークな曲調に期待するファンも多かっただろう。
Nihil Pip Viperは2021年10月。その前のシングルPhantom Jokeが2019年10月。まる2年の間隔があったのである。その間にアルバムの発売があったとはいえ、喉から手が出るほど欲しかった新曲で、それもタイアップでない(=別の人の物語が創作に干渉していない)。言い換えればユニゾンが完全に、好きなように、自由に遊べる楽曲ということで、一日千秋の思いで解禁を待ち続けたのが記憶に残っている。

「あせらずとも、ツアーでやる」
と言われたが、解禁日にしっかり聴いて、曲調の底抜けの明るさに泣きそうになったのも覚えている。


そう、思えばこの頃はロックバンドが彩を失った、最も不自由な時期だった。

3密、濃厚接触飛沫感染予防、緊急事態宣言による外出禁止令。
楽しみにしていたライブが二度と帰ってこない思いもした。
ロックバンドとその周りの大人たちが沢山の決断をして、世間の目にさらされながらも開催することができたパトべジだって、全てのファンが行く選択をできるわけじゃなかった。




そんな中ロックバンドがただ新曲を出した。

ドクターストップだろうが構えは崩さず
今日もしゃにむにfake show


「ただ」でこんなに救われることがあるのかと思った。音楽は今日も、これからも息をするのだと希望の光が差した。
そしてこの曲を再生すると、4分4秒にこれでもかと詰め込まれた喜びが飛び出してくる。
底なしにハッピーなサウンドと爽快感が全身をかけめぐるような刺激。


それは休みなく繰り広げられる単語の連撃によって生み出されている。

(make me hazy この際)
Oh エマージェンシー やばくなってる

「詰め込まれた」感が分かりやすいのはこのあたりだろう。歌詞が決められたメロディーの上で最大限踊っているのは制限された箱の中で自由に飛び回っているようである。こじつけのようだが当時の状況を踏まえた意味をこの曲に見出したいのだ。曲を出せるとなったとき、貯めておいた数々の曲からNihil Pip Viperが選ばれた理由とともに。



さてこの刺激。体験したことあるような、ないような。そう思わなかっただろうか。
私はその「ある」「ない」といった対比の関係を大切な2つの要素として考えている。

この曲は、どこかで聞いたことのあるフレーズの登場から、肘で茶を沸かしてみたり、素直かと思いきや斜に構えてみたり、くねくねとかわして掴みどころのないところまで、隅から隅まで「ユニゾンらしさ」にあふれている曲だと思う。ああこの感覚、ユニゾンはこれからも続いていくのだ、と思わせるようだった。しげきの「き」でわっと各楽器でサビに入るのがアンサンブルの良さを増幅させているので、バンドらしい。(Dizzy Tricksterなどもこれが主役級に使われているが、少し違うアプローチである)
全部楽しい!全部楽しい!が切実に、ユニゾン


しかしながら新要素もあるわけで。曲調が目まぐるしく変わるところでこの曲の個性をいくらでも語ることができる。
たとえば2番はじめの早口のところ、Invisible Sensationに似ているように思うかもしれない(構成的にも)が、あちらは常時エマージェンシーなのに対し、こちらは早口の最初はわりと平和的で、error!の転換点によってえげつない例の連撃が飛んでくる。表現として音素を抑えることもあるが、表現の進化ととらえてもいいんじゃないか。

彼らはどれだけ引き出しを持っているのだろうか。このようなことができたなんて知らなかった。そんなことを新曲を聴くたびに思う。アルバムにはなんとなくテーマのまとまりのようなものがあって(CIDER ROADを受けて、CITSのロック・バンド要素を強めた、など。ただし、今作Ninth Peelにテーマのまとまりはないとしていて、それが特徴になっている)、単純にアルバム間での比較はできないが、アルバムごとに表現の幅を広げ、進化を遂げているといえる。

これは実に喜ばしいが、懸念もしてしまう。
彼らがこれ以上進化してしまったらどうなってしまうのか?と。
ニゾンの進化は等加速ではない。我々の期待、予想、創造しうる領域を超える速さ以上で、進化を遂げていく。
速度だけでなく、別のベクトルへも手を伸ばしていく。

たしかこれはスカパラの谷中さんが言っていたと思うのだが(出典を後ほど載せます)、ユニゾンを例えるならよく尖らせた色鉛筆であったり、複雑な建築物であったりすると。複雑で、鋭敏で、美しい。

冒頭と同じようなことをもう一度述べる。
Ninth Pencilでもクソデカ(…物理的に?)な進化をみせた。スペースシャトル・ララバイで全世界の聴者の感情をかき回し、銀河まで飛ばしたら、全人類に惑星の恋心を特大カミングアウトしてしまう暴挙。おいおい、どうなっちまうんだよ…と。

彼らのその先

じゃあ、本当にユニゾンはどうなるのか。
色鉛筆を尖らせ続けたら、ガウディも仰天するほど複雑な建築物を高く高く増築させ続けたら?
宇宙のその先はどうなっている?

例えば

蓋然性合理主義なんて ガキの遊びだわ
さっさとお家へ帰れ!

とか例の曲を破壊するフレーズ。


先ほどまで私が散々繰り返してきた「らしさ」だが、ユニゾンは「らしさ」を否定する。

進化の先は崩壊である。
色鉛筆の芯は折れてしまう、あるいは建築物がバランスを保てなくなって倒壊するかもしれない。削っても削っても折れないのだときれいごとを書くつもりはない。

じゃあ彼らはというと、「ユニゾンといえば○○」などとらしさのようなものが固まってしまう前に、わざと彼らの手でぶっ壊してしまうのである。
あるいは折れたり倒壊するまでわざと全力でやってるのかもしれない。どちらにしても卍崩壊上等卍なのには違いないだろう。

だから、ユニゾンが時折見せる尖りすぎた芯に、心配することはない。
私が言える立場では全くないのだけど、音楽がそう語っているので安心してほしいのだ。
だって、心配せずともまた1から色鉛筆を削りはじめるのだから。我々が想像するより数十倍も早く、まだ見たこともない新世界を描く芯ができあがる。

そう思わせる曲だ。

田淵氏は「なんでこの題になったかわからない」と言っていたが、私はその凝り固まり【らしさ】こそが毒蛇であり、とぐろなんじゃないかとひとまず結論づけた。


蛇の正体こそ


さて、蛇というワードを改めてちゃんと出したところで、生物としての蛇を調べてみた。
その結果かなり面白いことが分かった。以下ヘビ - Wikipediaからの引用。

・ヘビの歯は、くわえた獲物を逃がさないよう先端が内側(のど)に向かって曲がっている上に細い
・大型の種類ではシカ、ワニ、ヒト等を捕食することがある

(項目「文化の中の蛇」)
・脱皮をすることから「死と再生」を連想させる

あとは

・尾をくわえたヘビ(ウロボロス)の意匠を西洋など各地の出土品に見ることができ、「終わりがない」ことの概念を象徴的に表す図象としても用いられていた

やはりこれである。


そこまで田淵氏が考えていたかは分からないが、蛇は狙った獲物を離さず、死と再生、終わりがない=循環の象徴であることを示唆している。
曲調、フレーズだけでも崩壊と再生を思わせるのに、ヘビの特徴を並べたら、なんだよ、答え合わせになってしまったじゃないか。

これも一応断っておくとヘビの特徴のはずなんですけど

・威嚇もなくかみつく攻撃的で危険な毒蛇もあり、不用意に近づくのは危険である


…知らないうちにWikipediaの項目がUNISON SQUARE GARDENに?
心当たりのある曲がちらほら浮かんでくる人もいるのではないだろうか?

あまりにも有名なケースだがロックフェスに来た人が、ユニゾンの有名曲ぐらいは知っている状態で「次ユニゾンか!シュガビタとかやるかな~!」と近づいた瞬間である。

ド頭一発
「君がもっと嫌いになっていく~!もっと嫌いになっていく」

申し訳ないが、これは毒蛇。Cheap Cheapの兄さんが毒なんじゃなくて、威嚇(MC)もなんもなし入場して即ぶっこんできたことが。
ド頭一発じゃなくとも「ユニゾンの演奏が楽しそうだったから観に行ったら」確実に噛まれる。これはもう田淵氏の計画「初めて聴いた人にも何かしら印象が残るように」を達成している。

近づけば噛まれるし、くわえた獲物(もとからのファン)も逃がさないヘビ。
って言っても世界中の誰よりも楽しそうに演奏しているところを見せられたら、彼らに近づいてしまいますよね。
そりゃ危険な毒蛇だ。近づいたらもう逃げられなくなっちゃうんだから。

警戒して毒蛇の名の曲に近づけば、有限のメロディーの上で、楽しさを余すところなく、気持ちよく表現したサウンドに包まれて、抜け出せなくなる。

逃げ切れるのかな?
締め付けてやるぜ

毒蛇と人間は、ユニゾンと聴者の在り方のようではないか?

「ロックバンドが新しい曲を出した」
それだけでこの曲への導入なんて十分だ。
こうやって、これからも続いていくことを示唆してくれるから、私たちもずっとユニゾンを愛すのだろう。

行きはよいが乖離が怖い

(*この記事は3分程度で読めます)



別れに怯えて生きている。
もう二度と行けない場所が美しいとか、一度きりの人生が貴重だとか、そんなこと、断言することが出来ないし、ぜんぜん分からない。

それに、「別れ」を何かしらの言葉で表現できるようになってしまったとき現在と繋がっていた存在を分離することになるのだから恐ろしくてたまらない。


スペースシャトル
ロケットと航空機の混血。
今から11年前に役目を終えた。

宇宙は遠い存在で、憧れで、
宇宙開発は人類の希望と言われている。
私たちは宇宙に挑むという壮大な計画を
誰かに託して、泣いたり笑ったりしながら
打ち上がるスペースシャトルに願いを込める。

スペースシャトルというのは、本来帰ってくるもので、出発の瞬間を見ている人は、人にするのと同じように「頑張ってこいよ」と言うのだろう。
そして、スペースシャトル自身はというと、周回軌道から外れることが出来ない____というか、外れたら文字通り致命的だ。

曰く、周回は「輪」である。永遠である。摩訶不思議なことに、輪の上という範囲に定められた収束する無限である。

永遠は、不変でなくてはならないのである。

そしてスペースシャトル・ララバイ。

このことを念頭に置くと、事の重大さが分かってしまう。スペースシャトル・ララバイの不安定感を覚えた人はいないだろうか?そしてサビの安定感を。

序盤から希望に満ち溢れていて、そわそわしていて、
「応答を願う!」で、どこか知っていて落ち着くメロディーに落ち着く。
(★もしかして:
「シグナルABC」かもしれないと思ったら…?
スペースシャトル・ララバイにも大気圏、シグナル(≒合図・応答)とあり、併せ飲みで解釈することもでき、本当にこの2曲が繋がっているとも思えてくる)


後半になるほど不穏になるこの曲が、
どうも心を掴んで離さない。


「言葉はみだりなまま 想いだけ強くなっていく」

「軽はずみだな リアクションとかメッセージとか
見飽きたよ 聞き飽きた それなんかの足しになるのか?」


2番に入り、明瞭に歌い上げられる歌詞はこんなにも…あまりに事が上手く行き過ぎると人間は不安になるが、まさにその期待していない期待が本当となってしまうフレーズだ。

誰かに託すとか、思いを込めるとか、
人類の希望みたいな壮大なこととか…だよな。そういうのを否定したい訳ではないことは後のフレーズから分かる。
自分の気持ち優先!as you like!というスタンスをユニゾンは一貫しているだろうから、そう解してみる。「ありがとう」とある通り、期待は受け取るんだけど、
その期待に押し潰されて、呼吸が苦しくなってしまって、パニック状態なのかもしれない。

どうにも出来ないから、落ち着きたいから「どうしようもなく どうしようもなく 息をしたくなった」。

そこに、

「少しずつ話そう、いいかい?
大切に淹れたコーヒーとか飲みながら」

諭すように優しい言葉が綴られている。というか、厳しい言葉のあとなので優しく感じるのは普通である。
大切に淹れたコーヒーって、心を落ち着けるものでもあって、大事なこと(=エッセンス)の「抽出」がテーマになると思う。
プラマイゼロで歌詞だけ見るとこの2つのフレーズは綺麗にまとまっているように思えるが、「大切に淹れたコーヒーとか飲みながら」で、安定感がグラついている。作曲とかやってる人は聴いてすぐに、えげつないコードしてんな、とか思ってると思う。(…解説して欲しい。)

つまりその変化で、周回軌道から外れている訳である。
すぐにBメロに入り、軌道に戻るのだが。

歌詞も何も見ずに聴いていたときに、ここの部分で心臓が止まりそうになる思いをしたが、それとは対照的に、歌詞だけを見れば平和に上手く収まっているように見える。実に危険の潜んだフレーズなのである。
スペースシャトルの考察で、疑問に思っていたこの感覚が間違いではなく、よく曲の2番で見られる「アレンジ」が、ここでは望ましいものではないことが分かってしまった。

それにしても「君にできないわけないから」
と断言するなんて、「軽はずみだな〜」のことを考えると、捉えようによっては重荷にしかならないことを…
じゃあ、君にできないわけがないって、「決断」「決心」のことを言っているのか?

どちらだとしても変わらないことは、私たちは重荷を課している、託しているということなんだな…
だから見ている私たちも同じように責任を持って祈るべきなんだろう。

自分の心に正直になりながらも、
私たちの祈りを無視することなく。
その結果、決心をもたらしてくれた。


必要な門出だった。


「決心を祝う!」
「青すぎる空を泳ぐ希望みたいなもの」

息をして、生きたいという活力を抑え切れずに
「どうしようもない」と言ってスペースシャトル
空に消えていった。それは笑っているようにも見える。


さよなら。想いの向こうへ。




4/18 著 8/25 改・編集
タイトルの引用(改)
「徹頭徹尾夜な夜なドライブ」より

【Dr.Izzy Report】猛獣解剖記録大失敗譚

…ー、からシュレーディンガー


…クルセイダー、からシュレーディンガー


ヘッダー、パンドラ、クルセイダー、からシュレーディンガー



博士!起きてください。
そう、私?って、とぼけないでくださいよ?
今の状況分かっていますか?

ええ、ええ、私達は閉じ込められているんですよ!
先程から流れているあの…まじないのような歌で
頭がどうにかなってしまいそうです!
ヘッダー、パンドラ、クルセイダー、からシュレーディンガー
博士、「あれ」を知っているんですか?

BUSTER DICE MISERY…あれが、そうなんですね。


それは、猛獣指定されている危険なターゲットで、でも全貌は明らかになっていない、そうですよね。
そう…音媒体だったのですか。
今までのBUSTER DICE MISERYの調査書は私のところに届いたばかりで、今手元に全てあります…はい、ここの脱出方法を探すべく、この調査書からBUSTER DICE MISERYの正体の考察をせよと。

わかりました。では私と一緒に考察してまいりましょう。


こちらはナツさんによる【Dr.Izzy Report】の企画です。トレイラーはこちらから。

まとめ記事はこちらです(7/16 追記)



 BUSTER DICE MISERY [バスター.ダイス.ミザリー]
混沌的事象。UNISON SQUARE [編集済]の曲とされているが、未だ詳らかならず。それは曲名であるとともに、研究者たちに長らくDr.Izzyの解剖を困難にさせた根源の名前。


まず、今までBUSTER DICE MISERYは謎のヴェールに隠されてきました。定義もはっきりしていない。しかし、それが「大好き」という者も大勢見てきました。諸説ありますが、ここに記されているロックバンド、UNISON SQUARE GARDENのアルバム「Dr.Izzy」の曲というのが最も有力説のようです。(だから私はこの度Dr.Izzy研究員に抜擢されたのですか…) しかし、私は正体がそれだけではないと考えます。
BUSTER DICE MISERYを媒介にして何か訴えることが目的なのではないか、あるいは事象そのものを示しているのではないかと、そう思うのです。
こちらが危険を覚悟で先輩が解剖した際の記録です。


【以下BUSTER DICE MISERYの解剖記録】

 0:00 現代への警鐘を鳴らす轟音かあるいは
破壊・攻撃(BUSTER)音ともとれる。
強い意志を持ってして放たれた、ある程度秩序のある
シュプレヒコールにも似ている。

0:11 静かなる一声で轟音が止む
0:13 多種の音がまとまる



何かをなすために徒党を組んでいるようにも思えますが、どのような集団なのでしょうか。もう少し様子を見てみましょう。

 0:24 解析により音声は3█歳の日本人男性によるものと判明。
彼はUNISON SQUARE [編集済]の3人のうちの1人とみられる。
バックはスカのリズムで、チャキチャキ、とスイッチの切り替わるような歯切れの良い音が心地よくなっている。
以下、歌を記述する。

破竹無敵のチャンプだって 一度の汚職でチャラになるらしい
常世の業はげにげに深い ラルラルラ 冗談が上手くなる

手術台に乗せられるので どこを晒してどこを隠すのか
頭キラせて骨断つのは ラルラルラ 骨が折れまする


つまり処世術のようなものに縛られる、ということを示しているのではないでしょうか。汚職はもちろん無いに限りますが、スポットライトに眩しく照らされている人ほど、一般人では普通叩かれないような些細なことでも、厳しく焼き付けるように批判されます。

手術台というのは、人の目がよく集中する場所で、今にも不祥事を暴かれる人やネットの掲示板のことだろうと思います。今からメスなどで暴いていく訳です。その人はこれから炎上するかもしれない。人の厳しい目を避けながらどこまで晒してOKでどこまで隠すべきなのか…
注目されるというのは本当に骨が折れるでしょう。

同じ「Dr.Izzy」から「エアリアルエイリアン」が参考になると書いてあります(*1)。

報道陣達が群がれば 危険信号のphase
興味本位、多数論理、晒す奇異の目
少々重たいんだな もうずっと頭もたげるばかりさ

そうやって精神を張り巡らせていたら
だんだん目が回ってきました。そこで、

 0:46 BUSTER DICE MISERYを象徴するフレーズ(i) 

が登場します。
遅れとっちゃったのは、尻尾を隠せなかった人のことなのでしょうか。いわゆるインターネット用語「メシウマ」の材料にされてしまいそうです。

BUSTER DICEを転がして 行く末は塵花火?
オブジェクションは声にならない なんてあんまりな罰


"BUSTER DICE"の正体は断言できませんが、直訳で
"壊す人のサイコロ"とすれば、博士も、もう分かってきたような気がしませんか? そう、批判してる側の人間のことなのでしょう。そして暴かれる側は抵抗をしたようですが、努力虚しく駄目だったようです…仕方ないとも言うのでしょうか。

 1:22 
絆コーデが幅利かせて 純粋の愛は辞書を失う
君の道化も求めてはいない ラルラルラ 気安く喋るな

私の解釈ですが、ここでは全体的に「偽装」のことを歌っていると思っています。晒すか隠すかならば、「隠す」
側です。塗りかためられた虚像なんて興味無いよ。という感じでしょうか。そして、気安く喋るなというのは口を開くなという意味だけではなく、「気安い」喋り方が気に入らないのでしょう。思ってもないことを言うな、あるいは喋る言葉には気をつけろという忠告?沢山の意味に取れます。そうすると道化というのも「尻尾を出す」ことに繋がりますね。


 2:05 今までとはうってかわり、渦を巻く様な不穏なギター

2:14

2:19 4
2:21 6
2:23 6
2:25 6.7.6.5.3.4.1.3.2.1.1
なお参考資料*2によると、このキメの数は変動する(変動する場合は拡張が多い)。以下、条件・背景の考察。
20█年8月10日 ██県█████市で演奏されたものでは特別なセッションからこの曲に突入した。
主にこの部分をアレンジしたもので、一切合図なしに3人が文字通り息を揃えてまさに「見せつけられているような」パフォーマンスを行った。
キメの間の空白が長ければ長いほど揃えるのがあまりに難しいようであり、
UNISON SQUARE [編集済] のファンのドラマーが口を揃えて言うことによると「最強(最凶)」、「害悪曲」というほど。


このとき、UNISON SQUARE GARDENのライブは日本最大のフェスにおけるメインのステージで開催されていました。今までは違うステージで行っていましたがこの年からメインに移行しました。
元々のUNISON SQUARE GARDENのファンだけでなくメインのステージは「○○とか聴いたことあるし行ってみようかな」という軽い感覚や興味で行く客、初見の客も大変多かったはずです。それがフェスの楽しさでもあるので、アーティスト側もそれを配慮していると思われます。配慮…していると思います。


調査員らで当時のライブを追体験した上で申し上げます。配慮は…されていたと思います。

___いいや、1番目にCheap Cheap Endrollです。されていません!
そしてフェスで与えられる短い持ち時間の中でBUSTER DICE MISERYのセッションが選ばれました。
言いたいことは解剖記録の通りですが、1番印象的に感じたのは「強者の風格」でした。
自分よりずっと高い所から___天から光がさした感覚です。物理的にもステージは高いところにありますが、もっと高尚なものを感じました。

そうですね…人もコンピュータも自分の理解の超える事象を観測すると、フリーズします。しかしながら自己修復できます。コンピュータはバグの原因を探しますが、人は異なります。どうやって自己修復するのか。フィーリングという漠然としたもので事象を「理解」するんです。
おそらくBUSTER DICE MISERYを初めて聴いた人も圧倒されたと思いますが、その次の瞬間には惹き込まれていたはずです。

あれ?それで思ったのですが、もしかして私たちってBUSTER DICE MISERYの思い通りに踊らされていませんか?
私たちはBUSTER DICE MISERYを解剖した気になっています。しかし、んー…「彼」と呼びましょうか。考察より、彼はあれほどに「露出」についての理解が深いといえますよね。であれば、自分が我々にしっぽを捕まえられるようなヘマはしない。つまり、彼が「隠し」ていると思ったことも、彼にとっては「晒す」うちに入る。本当の核心はまだ隠されたまま…


…って、なんですか博士!私を憐れむような目をして…!
何、結局解剖に失敗しているではないかって…?

うう、確かにお恥ずかしいことに私ならBUSTER DICE MISERYの正体を解き明かせるんじゃないかと思っていました。ですが…流石に猛獣指定。あまり深く掘り下げすぎるのも危険だと言った先輩たちの言葉も今なら分かります。


"どこを晒すか、どこを隠すか"



ああっもう!!!!してやられた!!!!!


って、部屋の鍵が空いてる…?
何これ、ドアに落書き?マタノチョウセンヲオマチシテオリマス?

まあいいです、とりあえず早くこの部屋出て他のDr.Izzy研究員の研究を手伝いに行きますよ!!!博士!!!!!
そしてまたここにリベンジに来ますから!!!!

Next study?▶︎▶︎


参考文献はこちらです。
ご清聴ありがとうございました。

*1)

論文▶︎

*2)

【MODE MOOD MODE SENTENCE 】ファイア、カメラ、アクション!

都会はまったくペースが早い。
交差点に湧くゲリラとかは闘争の中心になり得るし、
誰もその中で生きていくルールなんて教えてくれない。
ならば最低限自分の身は自分で守って
いっそのこと馬鹿騒ぎしてしまうとしよう。


自分に忠実であれ、受動的であれ

fake town baby


【前置き】
齢11歳の私は慄いた。あまりにもfake town babyの歌詞は、小学生には衝撃的だった。衝撃的というか刺激的というか、かわいいものだが、「神様も〜」なんて言っていいの!?とびくびくしていた。しかしながらfake town babyがかっこよ過ぎて、毎日歌っていたし、MODE MOOD MODEが人生で初めて買ったアルバムとなったことも忘れない。


他の方々はどうだったのだろうか?fake town babyの歌詞に驚いただろうか?まあそれはそれとして、今ではマ█メイドスキ█ンダラスを一聴した時ああだこうだと自分の言葉で説明できるようになったものだが、何せこの曲に関しては未だ心に女児を飼ってい(た時が忘れられないでい)るので、解釈しても女児の念が「え、言い切っていいのそれ?」と邪魔して冷や汗をかく思いをした。

なんてったってこの女児、アイカツを現代音楽の至高であり英才教育アニメだと信じて止まないので。今もそうだが


であるから、現在の私が努めて体裁を整えた文を書いても、さながら俺の魂がそれを否定してる的な状態になる(呪術廻戦読んでください)。



さて今回は前回の深層まで突き詰めるような解釈とは変わり、正反対の位置にある2方向から核心を目指すやり方で話していきたいと思う。

はさみうちの定理みたいな、なんだかちょっと、
数学の証明みたいな感じで。

お好きな方から、あるいはお好きな方だけでも
楽しんでいただければ幸いだ。


MODE MOOD MODE SENTENCE
最終幕 第1章


今回もこの素晴らしい企画を彩る仲間に
加えてくださったこと、
この場をお借りして感謝を申し上げます。

MODE MOOD MODE SENTENCE トレイラー▼


第1節 ファイア、カメラ、アクション!

ツアー「kaleido proud fiesta」。
前作Patrick Mojii開催期間中に行われていた
過去最高級のロイヤルセトリをかましてくださり
やがったツアーである。

fake town babyもその一味であった。

(お借りします )

私の円盤ではfake town babyは未だに新曲なのに(ん?)
このツアーでは圧倒的、先輩ポジションにいた。
実際にライブで聴いたが、ラディアルナイトチェイサーのアウトロをカットした上で一呼吸も置かずfake town babyに入るという化け物っぷり。

熱を冷めさせるどころか、会場を焼き付くす勢いのぶち上がり様。しかし、矛盾しているようだが私はそのときfake town babyに落ち着き・安心感を覚えた。それは私だけの、気のせいだったのだろうか…?

いや、気のせいではないと思う。


なぜなら一聴ではびっくりしてしまうような歌詞がふんだんに盛り込まれていても、こいつは、fake town babyは、最初から「素直」なやつなのをわかって欲しい。

しかも、「うるせえ黙れ」といった感情的にして、その訴える歌詞が論理的なのがfake town babyの魅力である。
ちゃんとその中に根拠があるからおもしろい。
だから安定した印象も与えてくれる。

曲調に緩急があり、人に訴えかける力も持ち合わせている。歌詞をよく読みこめば、fake town babyが強い芯を持っていて、ツアーで次の5分後のスターダストへ繋ぐ軸、そして起点としての役割もなしとげた意味も分かってくるだろう。

主役をこなしながら、キャラクターの違う仲間へ
上手なパスを送る。
驚くべきことだが、それがfake town baby
にとっては普通のことだったのだ。

思い出してみよう。


fake town babyがMODE MOOD MODEに
置かれていた位置を。

芯を持った曲は軸としての役割が
得意分野なのである。



第2節 自分に忠実であれ、能動的であれ

さて、fake town babyの一番のテーマについてお話しよう。【ルール】についてである。

fake town baby の【ルール】とはもちろん法令という意味ではなく、了解的な意味でのルールなのは一目瞭然だが、日常世界でなぜルールが存在するのか?なんて考えているような人間では、ヘルザレムズロットでは生きていけない。


fake town babyはTVアニメ「血界戦線&BEYOND」の主題歌であるから、前作を含めて視聴すると理解が深まる。舞台のニューヨーク____異界と現世の交わる街、ヘルザレムズロットは異常が日常の忙しない街である。

超天変地異みたいな狂騒にも慣れて
こんな日常を平和と見間違う


異形の種が人に成り代わって大家を務める、「それ」
から告げられる、突然のアパートの退去命令を主人公レオが受け入れるシーンがある。なんとも理不尽である。でも受け入れなければ文字通り喰われてしまう状況だった。

だから命令を承諾したレオはこの街のルールを了解している、といえる。
翻って私が理不尽、と判断するのはどの要素からか?
そう、わたくし筆者の【常識】である。
退去命令は期間を設けて、前もって提示するべきだし、
退去の理由も宝くじに当たってアパートの区画一帯を建て替えるから____なんて理不尽だ!!!

しかし異形の種は驚くレオにこう言った。
「ここ(契約書)に書いてあります」と。
さすれば異形の種の方が正しいということになる。
…はあ。


君の常識なんて通用しない。
思った通りに上手くいかない。
それが世の常。



不条理をそのまま受け入れよ。



というのがこの街のルールである。
物語の外の我々だって全く例外じゃない。
不条理をそのまま受け入れる時とはどんな時か?

上司に報告したことを後になって「聞いていない」と叱られたりする報連相問題?それともクレーマーのお小言を笑顔で耐えるとき?

それを「理不尽」や「不条理」と認識する前に
我々は赤ちゃんのときから不条理を受け入れてきている
____言語習得である。
言語の起源を我々は知り得ないまま、そのまま言葉を覚えてきた。生まれてくるのが後だったから、スタートラインが遅れているから、先にあったことを疑問なく受け入れ続けるのが我々である。そうだろう?


不条理をそのまま受け入れろ、とかそんな悲しいこと言うなよ…と思うかもしれない。



違う。




不条理を受け入れるというのは我々を
守ってくれる盾にもなり得るのだ。



過度に期待しすぎること。
何かに寄りかかり、信じすぎること。

それは時に君を苦しめる。





例えば、貴方は仕事で大きなミスをしてしまったとしよう。大層落ち込んで、食事も喉を通らない。周りは気にしないでと励ましてくれたけれど、その日からどこか距離があって、頼まれる仕事も気を遣われているような…

そんな中失敗を挽回する機会が訪れた。
長らくお世話になっている上司が、自分を信じて、そこそこ大きな企画でのプレゼンを任せてくれた。絶対にその気持ちに応えよう、素晴らしい姿を見せて挽回しようと思って貴方は沢山沢山準備を重ねるだろう。

もう大丈夫。成功する自分を思い浮かべて
大勢の人の前に立つ。










____なのにどうして。言葉が出ない。

急転直下。

フラッシュバックする感覚。
あの日あの時。発覚したときに血の気が引いた感覚…
嫌だ、嫌だ、飲み込まれたくない。


「待った」
時間を巻き戻してくれ、とそう思ったけど、
体は動いてはくれなかった。どう過ごして、
どうやって家に帰ったかも覚えていない。
悔しくって悔しくってたまらない____






「思い通りにはならないものだよ。」

誰…?

「悔しかったな」

…うん

「せっかく、なんて言ったらいいか、
どうしたら自分に勝てるか、たくさんたくさん
考えたのにな」

「頑張ってたのにな」



行動を起こすことに意味がある。



「光に向かって一歩でも進もうとしている限り、
人間の魂が真に敗北することなど、断じてない」
____クラウス・V・ラインヘルツ 「血界戦線」より






_______________

fake town babyは優しい歌だ。
私は声を大にして言いたいのだが、
fake town babyはすごく、人間の感情に
素直なのだ。

それこそ頑張っている人を認めてくれるような。
消えかかりそうな気持ちに寄り添い、
支えてくれる大きな柱になるような。

不条理を受け入れることと、
頑張っている人を認めることとは
もっとも遠い場所に位置しているように見える。

だけど一番してはいけないのは
「神様は不平等だ」
と思うことらしい。

不条理を条理にするために、
受け入れられないことへのフラストレーションの
矛先を向ける相手として作り出された相手。

我々と直接干渉することのない
高次の存在。それが神。仏。



また、神仏は我々の救世主として描かれる。

我々はよく「お願いします神様仏様」と言う。
私も言う。受験や試合で勝ちたいとか、大切な人の病気が治って欲しいときとか。
すがれるものにはなんでもすがりたいという一心だ。

それで物事が上手くいった時、我々は神様に
お礼に行ったりする。なぜなら本当に神様は我々に自信を与えてくれたから。


でも、fake town babyはとことん頑張っている人の味方。だから、「神様のおかげ」とか、「ラッキー」という言葉を絶対に許してくれない。

貴方が頑張ったから、合格した、試合に勝った。
全部全部、貴方が頑張ったからなのに!!!!
神様の存在がそれをかき消してしまった!


そう言っている。


不条理を受け入れるのは苦しいけど、
まるごと、万物を承諾してしまえば
君の努力も認めることになるでしょう?


自分の常識との乖離に悩む者があれば
目の前に現れて一見厳しい言葉を放つ。


君の常識に用はない。



また君が歩み出すことがあれば、
fake town babyは悪友のようににやりと笑って、
隣で言ってくれるだろう。


「さあ勝算万全、お待たせ」


全部受け入れる覚悟で行く、後悔するくらいでちょうどいい。なんなら全部巻き込んで楽しんじゃうのがルールなんじゃない?

fake town babyの隣で自分を肯定しないか?

【Patrick Mojii】マーメイドスキャンダラスは現パロじゃない

素晴らしい企画に参加させて頂いたこと。

心からの感謝を込めて。

 

▼Patrick Mojiiトレイラー

https://summerday.hatenablog.com/entry/2022/09/01/000011

 

前菜。紳士淑女へのアナウンス。準備体操。私たちの感情を高め、物語に没入させるカウントダウンのあと。2曲目にこの曲が選ばれたということ。

2曲目にはたとえ、無意識でも、自分にとって何か大きな存在である曲が選ばれるのではないか。ユニゾンは特に順番に対して、セトリに対して、込める覚悟の強さが顕著だと思う。私はその熱度に、同じ覚悟で向き合いたいと決めるのである。

 

それぞれの曲を法則性で語るのは申し訳ない気持ちになるが、センチメンタルピリオドを除き、全てがシングル曲ではないことも、大事な要素だ。アルバムでしか聴くことができない。

 

細やかな各パートのフレーズのおかげもあり、あまりにも歌詞のメッセージ性について考えずにはいられない曲である。

 

 

 

そう思って、

マーメイドスキャンダラスを聴く時

必ず思い浮かぶことになるのが、

かのおとぎ話である。

 

 

タイトルに戻る。現パロを知らない人のためにご説明しよう。現代パロディの略で、過去・未来・異世界などを舞台と物語のキャラクターがもし現代で生活していたら...?といった一種の二次創作を指す。

 

田淵智也はおとぎ話や過去のCMや番組のキーワード、偉人の名前etc...をよく歌詞に入れている。しかしそれは引用であってパロディであったことはないと思う。

 

おとぎ話っぽいユニゾン曲といえば?と聞かれたとき、mix juiceのいうとおりが思い浮かぶ人も多いのではないだろうか。とりあえず、これを例にする。

 

今日までの感情が明日を作るから

イライラも後悔もまるごとミックスジュース

12過ぎても解けない そんな魔法があっても欲しくない

早く帰って眠らなくちゃ

 

これは「シンデレラ」の引用だとすぐ分かる。でも主人公はシンデレラではないし、アリスでもないことも確かだ。私がこの曲を聴いて浮かんできたのは喧騒の街をゆく若いリーマンやオフィスレディだった。妄想だよ。

 

 

おとぎ話は過ぎ去ったものとして、感情にだけしか憑依できない。皆が知っている、表現の道具として扱われ、この今の世界におとぎ話が融合することはない。

 

御伽話/御伽噺(おとぎばなし)の意味 - goo国語辞書

 

感情を表すために、「○○みたい」と付けられて比喩になってから、やっとおとぎ話というのは現実世界に存在することができる。いわゆる「並行世界」でもない。

 

mix juiceのいうとおり」は、現実的な要素が人を元気づける力を持っていて、言葉の意味としては若干異なっているのだが、1つのおとぎ話でもある。当たり前だが引用された人物と、曲の登場人物は別人格である。6年前とはいえ、今見つめれば過去であり、未来でもまた同じように「mix juiceのいうとおり」みたいだ、と使われることになる。曲のリメイクだってそういうことかもしれないね

 

固有名詞を歌詞に使う理由として語感も然ることながら、感情に憑依してくれるからだと思いたい。限られたメロディーに乗せた少ない語数で、何を言いたいのかが伝わる。

 

そして、現実とおとぎ話(比喩)がメッセージに立体感を持たせてくれている。

 

 

要するにマーメイドスキャンダラスも同じことなのだ。

 

登場人物と引用された人魚姫は全くの別人格だけれど、全体で捉えると、おとぎ話の要素を色濃く感じる曲だと思う。YouTubeで行われたPatrick Vegeeの試聴企画(神企画だった。毎日、発売日まで少しずつ曲の一部分が公開されていた)では、現在我々が受ける印象とは異なる、XXXXXスキャンダラスという題と、概要欄に歌詞が書かれていた。

私たちはそれを受けて、曲名を予想することになる。

 

歌詞で「マーメイド」という字を見ただけの時は田淵智也のチョイスしたワード、可愛すぎると思ったし、ユニゾンの曲に新たなマーメイドという要素が加わるという事実に大興奮した。新たな一面は人を惹きつける。

 

試聴でもかなりロック調だと誰もが分かるのだが、マーメイドの文字と曲調が私の中で乖離を生んでいた。

 

といっても、マーメイドという字が、皆が知るあのおとぎ話の意味をはらんでいたので、ロック調を聴いて「スキャンダラス」の前にマーメイドを置くという発想が起きなかったのである。

 

もっと言えばマーメイドXXXXXXとあの企画で記されていたら、圧倒的な存在感のせいで勝手にポップでライトな曲調だと勘違いすることになったかもしれない。それ程インパクトの強いワードで、曲を通して聴くまでは__Hatch I needから順番に__恥ずかしながら、スキャンダラスというワードについて重きを置くことはなかった。

 

 

この曲は最初にサビが来てから、Aメロに入る。2番ではメロディは同じであるものの表現が全く異なる。

ドラムはさながらマシンガンのよう。速い・手数多い・攻撃力高い。曲に与えられた変化というのは、特に着目すべき点である。歌詞もそれに伴って意味を変える。

 

企画ではサビの「運命なら」から「虚しすぎる」までが聴けた。

 

ではなぜ「なんてスキャンダラス」の直前で切られたのか?その意図も、見つけなくちゃ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

斎藤宏介の歌が乗ると、言葉の聞こえ方が全く違う。やっとここで私は気づいたのだ。マーメイドというメルヘンを感じさせるワードに、生々しいスキャンダラスと続く違和感。奇異の目。

 

これに最初から気づくべきだった。

 

なぜこの曲名が成立するのか?

 

先程も述べた、この曲が現パロでないとした理由は

 

幸せと歌った彼女と不思議とリンクした

 

で、完全に人魚姫は主人公と別人としていることが分かる。しかし全体的におとぎ話の要素を感じる理由は人魚姫の感情が主人公の感情に憑依しているからだと思う。

 

特に、サビの言葉の切れ目に注意して欲しい。

 

 

運命なら/過去に/置いて/来たから今に/なって/

大事/そうに語らないで

 

 

かなり息継ぎが多い。斎藤宏介なら切らずに続けて歌うことは可能だと思わないだろうか?そして、極めつけは

 

遺恨検証を繰り返しても懲りてないのはどうして

 

だ。どうして、が溺れそうなほど苦しそうなのだ。ここにはエコーがかかっており、強調したい、聴者に訴えかけたいとわかり、何度聴いても胸が苦しくなる。

 

「真実は泡になる」に被せられた細かなタッピングのギターの音は、まさに人魚姫のあぶくだ。

 

そのあぶくは人魚姫そのものかもしれないし、人魚姫が放ったものかもしれない。

 

でも、ここで疑問に思ってしまった。彼女が人魚姫であるとするならば、声を奪われているので歌うことは出来ないはずだ。

 

歌えた、海にいたころの彼女本人は窮屈なくらしに幸せと感じていなかった。だからこの「幸せと歌った彼女」はハッピーエンドの人魚姫であると考察できる。この曲は泡というワードからも「バッドエンド」の人魚姫が主軸だろうが、ハッピーエンドの要素がなくもない。

 

 

主人公は、おそらく「人魚姫」のハッピーエンドとバッドエンドの両方を知っている。アンデルセンの原作「人魚姫」が我々の認識と多少異なるのは置いておいて。

 

 

はたして泡になった彼女は本当にバッドエンドだったのか?

 

 

物語のエンディングは読者の感受性に帰結する。彼女が人間の姿を手に入れるとき、いくら若かろうと、なんらかの代償は覚悟していない訳がない。それでも危険を賭したのは叶えたいことがあるからだ。

やると決めた以上、絶望的な状況でも引き返さない。

 

 

彼女は自分の結末を知らされたとしても、もう一度過去をやり直せることになっても、必ず破滅の道を選ぶだろう。何度も同じ結末を繰り返す人魚姫を見て、何も知らない物見遊山は「懲りてないのはどうして?」と嘲笑する。

 

主人公も危険を賭してここまでやって来たが、嘲笑する声に惑わされそうになる。自分の覚悟など彼女に比べればちっぽけだ。なぜそんなにも執着できるのかと言うように

 

「どうして?」

 

と、溺れながら、苦しみながら、届かないおとぎ話の中の彼女へと叫ぶ。1番のサビは惑わされたくても戻れないことを悟った主人公が苦しむ姿だったかもしれない。

 

2番の焦り。ドラムの変化からも分かるように刻一刻と迫っているタイムリミットを感じる。焦りというのはバットエンドが見えるから、起きるものだ。泡になってしまわないように。

 

おとぎ話の中の彼女に勝手に勇気付けられながら、覚悟の邪魔をしないでくれ、と雑音にわき目も振らずに突き進んだ先が破滅だとしても。実は結末を知りながら立ち向かっているという真実、覚悟を周りが知ることのないまま泡になり、その姿を「虚しい」と言われても。

 

 

沈んだ海の中で、人魚は音にならない言葉を歌ったのだろう。「幸せだ」と

 

 

 

このマーメイドスキャンダラスにおいて、人魚姫の結末は記されていない。...その方がいいのかもしれない。

「虚しすぎる、なんてスキャンダラス」は結局のあまりの救われなさに主人公が自分と彼女に放った言葉か、物見遊山が彼女たちに向けて放った言葉かは分からない。

 

主人公の覚悟の強さは彼女の域まで漕ぎ着けただろうか。

私は歌詞の1番と2番で主人公の意志の強さの違いを感じた。強くなった。だから1番の「スキャンダラス」は主人公が人魚姫に、最後の「スキャンダラス」は物見遊山が人魚=主人公に言ったと思いたい。逆も考察できる。幸せか不幸せかは彼(彼女)のみぞ知るから、その立場に行かなければ真実を知ることは出来ない。

 

2つの「なんてスキャンダラス」の聴こえ方に違いがあるのか、もう一度聴いてみて欲しいなと思う。

 

 

 

 

と言ったが、実は「なんてスキャンダラス」は2度ではなく、3度でてくる。3度目と言いたいのは冒頭に持ってこられたサビだ。結末を知っても彼女は破滅を選ぶだろうと述べたが、主人公にとっても同じことだ。

 

つまり、この「マーメイドスキャンダラス」というおとぎ話は繰り返されているのではないだろうか

 

別の視点から見れば、このおとぎ話を本として、誰かが1度読んだ後、オチを知っている状態で読み進める2度目の話かもしれない。

 

「虚しすぎる、なんてスキャンダラス」に続いて、今まで2度繰り返されてきたギターリフが最後、途中で切れている。

 

 

それは、誰かが意図的に切り取った物語の痕跡なのかもしれない。

 

我々もPatrick Vegee__シェフが意図をもって材料を選んだコース料理__を嗜んでいる。

 

 

 

真実は、泡になった。