毒蛇が示すその先に【Ninth Pencil】

スペースシャトルが打ち上げられ、銀河旅行でダンサブルムードを楽しんだらチェーンソーでベータ=エレをぶった切られ急転直下。
着地地点はエゴイストの住処で、何とか振り払って超気持ちよくなったら、アフタヌーンのビスケットをいただいてやっと一息ついたところでしょうか。

Ninth Pencilの旅もそろそろ後半戦に差し掛かる、六曲目です。
これからもいろいろな「仕掛け」が出てきますが、私の役割はNihil Pip Viper、彼が皆さんをどうするつもりなのか、それについて紐解いていくことです。曲の中に答えはあるのですが。

今回もナツさんのBIGな企画に参加させていただきました。
いつも本当にありがとうございます▼
summerday.hatenablog.com


Nihil Pip Viperが特別な理由

Nihil Pip Viper。
Ninth Peelのコンセプトができる前から存在したらしい彼を語るにあたり、アルバムの中の位置づけというより、彼自身の出自についてスポットライトを当てないわけにはいかない。
毒蛇の名を冠する彼の役は、前アルバム「Patrick Vegee」の全国ツアーを行うにあたって、開催前の「派手な仕掛け」として最後に放たれたシングル曲だった。

しかもタイアップ先の名前が見つからない。
物好きたちには困惑と期待があふれた。これは流星のスコールぶりである。シングル=タイアップのイメージを覆すようで、うれしい気持ちもあった。Nihil Pip Viperは創造主によって存在のみ明かされ、堅牢な箱に閉じ込められて開けることができないかのように、「おあずけ」の期間があった。
しかも毒蛇の名をもつためか、その放つ不穏さからユニゾンのダークな曲調に期待するファンも多かっただろう。
Nihil Pip Viperは2021年10月。その前のシングルPhantom Jokeが2019年10月。まる2年の間隔があったのである。その間にアルバムの発売があったとはいえ、喉から手が出るほど欲しかった新曲で、それもタイアップでない(=別の人の物語が創作に干渉していない)。言い換えればユニゾンが完全に、好きなように、自由に遊べる楽曲ということで、一日千秋の思いで解禁を待ち続けたのが記憶に残っている。

「あせらずとも、ツアーでやる」
と言われたが、解禁日にしっかり聴いて、曲調の底抜けの明るさに泣きそうになったのも覚えている。


そう、思えばこの頃はロックバンドが彩を失った、最も不自由な時期だった。

3密、濃厚接触飛沫感染予防、緊急事態宣言による外出禁止令。
楽しみにしていたライブが二度と帰ってこない思いもした。
ロックバンドとその周りの大人たちが沢山の決断をして、世間の目にさらされながらも開催することができたパトべジだって、全てのファンが行く選択をできるわけじゃなかった。




そんな中ロックバンドがただ新曲を出した。

ドクターストップだろうが構えは崩さず
今日もしゃにむにfake show


「ただ」でこんなに救われることがあるのかと思った。音楽は今日も、これからも息をするのだと希望の光が差した。
そしてこの曲を再生すると、4分4秒にこれでもかと詰め込まれた喜びが飛び出してくる。
底なしにハッピーなサウンドと爽快感が全身をかけめぐるような刺激。


それは休みなく繰り広げられる単語の連撃によって生み出されている。

(make me hazy この際)
Oh エマージェンシー やばくなってる

「詰め込まれた」感が分かりやすいのはこのあたりだろう。歌詞が決められたメロディーの上で最大限踊っているのは制限された箱の中で自由に飛び回っているようである。こじつけのようだが当時の状況を踏まえた意味をこの曲に見出したいのだ。曲を出せるとなったとき、貯めておいた数々の曲からNihil Pip Viperが選ばれた理由とともに。



さてこの刺激。体験したことあるような、ないような。そう思わなかっただろうか。
私はその「ある」「ない」といった対比の関係を大切な2つの要素として考えている。

この曲は、どこかで聞いたことのあるフレーズの登場から、肘で茶を沸かしてみたり、素直かと思いきや斜に構えてみたり、くねくねとかわして掴みどころのないところまで、隅から隅まで「ユニゾンらしさ」にあふれている曲だと思う。ああこの感覚、ユニゾンはこれからも続いていくのだ、と思わせるようだった。しげきの「き」でわっと各楽器でサビに入るのがアンサンブルの良さを増幅させているので、バンドらしい。(Dizzy Tricksterなどもこれが主役級に使われているが、少し違うアプローチである)
全部楽しい!全部楽しい!が切実に、ユニゾン


しかしながら新要素もあるわけで。曲調が目まぐるしく変わるところでこの曲の個性をいくらでも語ることができる。
たとえば2番はじめの早口のところ、Invisible Sensationに似ているように思うかもしれない(構成的にも)が、あちらは常時エマージェンシーなのに対し、こちらは早口の最初はわりと平和的で、error!の転換点によってえげつない例の連撃が飛んでくる。表現として音素を抑えることもあるが、表現の進化ととらえてもいいんじゃないか。

彼らはどれだけ引き出しを持っているのだろうか。このようなことができたなんて知らなかった。そんなことを新曲を聴くたびに思う。アルバムにはなんとなくテーマのまとまりのようなものがあって(CIDER ROADを受けて、CITSのロック・バンド要素を強めた、など。ただし、今作Ninth Peelにテーマのまとまりはないとしていて、それが特徴になっている)、単純にアルバム間での比較はできないが、アルバムごとに表現の幅を広げ、進化を遂げているといえる。

これは実に喜ばしいが、懸念もしてしまう。
彼らがこれ以上進化してしまったらどうなってしまうのか?と。
ニゾンの進化は等加速ではない。我々の期待、予想、創造しうる領域を超える速さ以上で、進化を遂げていく。
速度だけでなく、別のベクトルへも手を伸ばしていく。

たしかこれはスカパラの谷中さんが言っていたと思うのだが(出典を後ほど載せます)、ユニゾンを例えるならよく尖らせた色鉛筆であったり、複雑な建築物であったりすると。複雑で、鋭敏で、美しい。

冒頭と同じようなことをもう一度述べる。
Ninth Pencilでもクソデカ(…物理的に?)な進化をみせた。スペースシャトル・ララバイで全世界の聴者の感情をかき回し、銀河まで飛ばしたら、全人類に惑星の恋心を特大カミングアウトしてしまう暴挙。おいおい、どうなっちまうんだよ…と。

彼らのその先

じゃあ、本当にユニゾンはどうなるのか。
色鉛筆を尖らせ続けたら、ガウディも仰天するほど複雑な建築物を高く高く増築させ続けたら?
宇宙のその先はどうなっている?

例えば

蓋然性合理主義なんて ガキの遊びだわ
さっさとお家へ帰れ!

とか例の曲を破壊するフレーズ。


先ほどまで私が散々繰り返してきた「らしさ」だが、ユニゾンは「らしさ」を否定する。

進化の先は崩壊である。
色鉛筆の芯は折れてしまう、あるいは建築物がバランスを保てなくなって倒壊するかもしれない。削っても削っても折れないのだときれいごとを書くつもりはない。

じゃあ彼らはというと、「ユニゾンといえば○○」などとらしさのようなものが固まってしまう前に、わざと彼らの手でぶっ壊してしまうのである。
あるいは折れたり倒壊するまでわざと全力でやってるのかもしれない。どちらにしても卍崩壊上等卍なのには違いないだろう。

だから、ユニゾンが時折見せる尖りすぎた芯に、心配することはない。
私が言える立場では全くないのだけど、音楽がそう語っているので安心してほしいのだ。
だって、心配せずともまた1から色鉛筆を削りはじめるのだから。我々が想像するより数十倍も早く、まだ見たこともない新世界を描く芯ができあがる。

そう思わせる曲だ。

田淵氏は「なんでこの題になったかわからない」と言っていたが、私はその凝り固まり【らしさ】こそが毒蛇であり、とぐろなんじゃないかとひとまず結論づけた。


蛇の正体こそ


さて、蛇というワードを改めてちゃんと出したところで、生物としての蛇を調べてみた。
その結果かなり面白いことが分かった。以下ヘビ - Wikipediaからの引用。

・ヘビの歯は、くわえた獲物を逃がさないよう先端が内側(のど)に向かって曲がっている上に細い
・大型の種類ではシカ、ワニ、ヒト等を捕食することがある

(項目「文化の中の蛇」)
・脱皮をすることから「死と再生」を連想させる

あとは

・尾をくわえたヘビ(ウロボロス)の意匠を西洋など各地の出土品に見ることができ、「終わりがない」ことの概念を象徴的に表す図象としても用いられていた

やはりこれである。


そこまで田淵氏が考えていたかは分からないが、蛇は狙った獲物を離さず、死と再生、終わりがない=循環の象徴であることを示唆している。
曲調、フレーズだけでも崩壊と再生を思わせるのに、ヘビの特徴を並べたら、なんだよ、答え合わせになってしまったじゃないか。

これも一応断っておくとヘビの特徴のはずなんですけど

・威嚇もなくかみつく攻撃的で危険な毒蛇もあり、不用意に近づくのは危険である


…知らないうちにWikipediaの項目がUNISON SQUARE GARDENに?
心当たりのある曲がちらほら浮かんでくる人もいるのではないだろうか?

あまりにも有名なケースだがロックフェスに来た人が、ユニゾンの有名曲ぐらいは知っている状態で「次ユニゾンか!シュガビタとかやるかな~!」と近づいた瞬間である。

ド頭一発
「君がもっと嫌いになっていく~!もっと嫌いになっていく」

申し訳ないが、これは毒蛇。Cheap Cheapの兄さんが毒なんじゃなくて、威嚇(MC)もなんもなし入場して即ぶっこんできたことが。
ド頭一発じゃなくとも「ユニゾンの演奏が楽しそうだったから観に行ったら」確実に噛まれる。これはもう田淵氏の計画「初めて聴いた人にも何かしら印象が残るように」を達成している。

近づけば噛まれるし、くわえた獲物(もとからのファン)も逃がさないヘビ。
って言っても世界中の誰よりも楽しそうに演奏しているところを見せられたら、彼らに近づいてしまいますよね。
そりゃ危険な毒蛇だ。近づいたらもう逃げられなくなっちゃうんだから。

警戒して毒蛇の名の曲に近づけば、有限のメロディーの上で、楽しさを余すところなく、気持ちよく表現したサウンドに包まれて、抜け出せなくなる。

逃げ切れるのかな?
締め付けてやるぜ

毒蛇と人間は、ユニゾンと聴者の在り方のようではないか?

「ロックバンドが新しい曲を出した」
それだけでこの曲への導入なんて十分だ。
こうやって、これからも続いていくことを示唆してくれるから、私たちもずっとユニゾンを愛すのだろう。