【MODE MOOD MODE SENTENCE 】ファイア、カメラ、アクション!

都会はまったくペースが早い。
交差点に湧くゲリラとかは闘争の中心になり得るし、
誰もその中で生きていくルールなんて教えてくれない。
ならば最低限自分の身は自分で守って
いっそのこと馬鹿騒ぎしてしまうとしよう。


自分に忠実であれ、受動的であれ

fake town baby


【前置き】
齢11歳の私は慄いた。あまりにもfake town babyの歌詞は、小学生には衝撃的だった。衝撃的というか刺激的というか、かわいいものだが、「神様も〜」なんて言っていいの!?とびくびくしていた。しかしながらfake town babyがかっこよ過ぎて、毎日歌っていたし、MODE MOOD MODEが人生で初めて買ったアルバムとなったことも忘れない。


他の方々はどうだったのだろうか?fake town babyの歌詞に驚いただろうか?まあそれはそれとして、今ではマ█メイドスキ█ンダラスを一聴した時ああだこうだと自分の言葉で説明できるようになったものだが、何せこの曲に関しては未だ心に女児を飼ってい(た時が忘れられないでい)るので、解釈しても女児の念が「え、言い切っていいのそれ?」と邪魔して冷や汗をかく思いをした。

なんてったってこの女児、アイカツを現代音楽の至高であり英才教育アニメだと信じて止まないので。今もそうだが


であるから、現在の私が努めて体裁を整えた文を書いても、さながら俺の魂がそれを否定してる的な状態になる(呪術廻戦読んでください)。



さて今回は前回の深層まで突き詰めるような解釈とは変わり、正反対の位置にある2方向から核心を目指すやり方で話していきたいと思う。

はさみうちの定理みたいな、なんだかちょっと、
数学の証明みたいな感じで。

お好きな方から、あるいはお好きな方だけでも
楽しんでいただければ幸いだ。


MODE MOOD MODE SENTENCE
最終幕 第1章


今回もこの素晴らしい企画を彩る仲間に
加えてくださったこと、
この場をお借りして感謝を申し上げます。

MODE MOOD MODE SENTENCE トレイラー▼


第1節 ファイア、カメラ、アクション!

ツアー「kaleido proud fiesta」。
前作Patrick Mojii開催期間中に行われていた
過去最高級のロイヤルセトリをかましてくださり
やがったツアーである。

fake town babyもその一味であった。

(お借りします )

私の円盤ではfake town babyは未だに新曲なのに(ん?)
このツアーでは圧倒的、先輩ポジションにいた。
実際にライブで聴いたが、ラディアルナイトチェイサーのアウトロをカットした上で一呼吸も置かずfake town babyに入るという化け物っぷり。

熱を冷めさせるどころか、会場を焼き付くす勢いのぶち上がり様。しかし、矛盾しているようだが私はそのときfake town babyに落ち着き・安心感を覚えた。それは私だけの、気のせいだったのだろうか…?

いや、気のせいではないと思う。


なぜなら一聴ではびっくりしてしまうような歌詞がふんだんに盛り込まれていても、こいつは、fake town babyは、最初から「素直」なやつなのをわかって欲しい。

しかも、「うるせえ黙れ」といった感情的にして、その訴える歌詞が論理的なのがfake town babyの魅力である。
ちゃんとその中に根拠があるからおもしろい。
だから安定した印象も与えてくれる。

曲調に緩急があり、人に訴えかける力も持ち合わせている。歌詞をよく読みこめば、fake town babyが強い芯を持っていて、ツアーで次の5分後のスターダストへ繋ぐ軸、そして起点としての役割もなしとげた意味も分かってくるだろう。

主役をこなしながら、キャラクターの違う仲間へ
上手なパスを送る。
驚くべきことだが、それがfake town baby
にとっては普通のことだったのだ。

思い出してみよう。


fake town babyがMODE MOOD MODEに
置かれていた位置を。

芯を持った曲は軸としての役割が
得意分野なのである。



第2節 自分に忠実であれ、能動的であれ

さて、fake town babyの一番のテーマについてお話しよう。【ルール】についてである。

fake town baby の【ルール】とはもちろん法令という意味ではなく、了解的な意味でのルールなのは一目瞭然だが、日常世界でなぜルールが存在するのか?なんて考えているような人間では、ヘルザレムズロットでは生きていけない。


fake town babyはTVアニメ「血界戦線&BEYOND」の主題歌であるから、前作を含めて視聴すると理解が深まる。舞台のニューヨーク____異界と現世の交わる街、ヘルザレムズロットは異常が日常の忙しない街である。

超天変地異みたいな狂騒にも慣れて
こんな日常を平和と見間違う


異形の種が人に成り代わって大家を務める、「それ」
から告げられる、突然のアパートの退去命令を主人公レオが受け入れるシーンがある。なんとも理不尽である。でも受け入れなければ文字通り喰われてしまう状況だった。

だから命令を承諾したレオはこの街のルールを了解している、といえる。
翻って私が理不尽、と判断するのはどの要素からか?
そう、わたくし筆者の【常識】である。
退去命令は期間を設けて、前もって提示するべきだし、
退去の理由も宝くじに当たってアパートの区画一帯を建て替えるから____なんて理不尽だ!!!

しかし異形の種は驚くレオにこう言った。
「ここ(契約書)に書いてあります」と。
さすれば異形の種の方が正しいということになる。
…はあ。


君の常識なんて通用しない。
思った通りに上手くいかない。
それが世の常。



不条理をそのまま受け入れよ。



というのがこの街のルールである。
物語の外の我々だって全く例外じゃない。
不条理をそのまま受け入れる時とはどんな時か?

上司に報告したことを後になって「聞いていない」と叱られたりする報連相問題?それともクレーマーのお小言を笑顔で耐えるとき?

それを「理不尽」や「不条理」と認識する前に
我々は赤ちゃんのときから不条理を受け入れてきている
____言語習得である。
言語の起源を我々は知り得ないまま、そのまま言葉を覚えてきた。生まれてくるのが後だったから、スタートラインが遅れているから、先にあったことを疑問なく受け入れ続けるのが我々である。そうだろう?


不条理をそのまま受け入れろ、とかそんな悲しいこと言うなよ…と思うかもしれない。



違う。




不条理を受け入れるというのは我々を
守ってくれる盾にもなり得るのだ。



過度に期待しすぎること。
何かに寄りかかり、信じすぎること。

それは時に君を苦しめる。





例えば、貴方は仕事で大きなミスをしてしまったとしよう。大層落ち込んで、食事も喉を通らない。周りは気にしないでと励ましてくれたけれど、その日からどこか距離があって、頼まれる仕事も気を遣われているような…

そんな中失敗を挽回する機会が訪れた。
長らくお世話になっている上司が、自分を信じて、そこそこ大きな企画でのプレゼンを任せてくれた。絶対にその気持ちに応えよう、素晴らしい姿を見せて挽回しようと思って貴方は沢山沢山準備を重ねるだろう。

もう大丈夫。成功する自分を思い浮かべて
大勢の人の前に立つ。










____なのにどうして。言葉が出ない。

急転直下。

フラッシュバックする感覚。
あの日あの時。発覚したときに血の気が引いた感覚…
嫌だ、嫌だ、飲み込まれたくない。


「待った」
時間を巻き戻してくれ、とそう思ったけど、
体は動いてはくれなかった。どう過ごして、
どうやって家に帰ったかも覚えていない。
悔しくって悔しくってたまらない____






「思い通りにはならないものだよ。」

誰…?

「悔しかったな」

…うん

「せっかく、なんて言ったらいいか、
どうしたら自分に勝てるか、たくさんたくさん
考えたのにな」

「頑張ってたのにな」



行動を起こすことに意味がある。



「光に向かって一歩でも進もうとしている限り、
人間の魂が真に敗北することなど、断じてない」
____クラウス・V・ラインヘルツ 「血界戦線」より






_______________

fake town babyは優しい歌だ。
私は声を大にして言いたいのだが、
fake town babyはすごく、人間の感情に
素直なのだ。

それこそ頑張っている人を認めてくれるような。
消えかかりそうな気持ちに寄り添い、
支えてくれる大きな柱になるような。

不条理を受け入れることと、
頑張っている人を認めることとは
もっとも遠い場所に位置しているように見える。

だけど一番してはいけないのは
「神様は不平等だ」
と思うことらしい。

不条理を条理にするために、
受け入れられないことへのフラストレーションの
矛先を向ける相手として作り出された相手。

我々と直接干渉することのない
高次の存在。それが神。仏。



また、神仏は我々の救世主として描かれる。

我々はよく「お願いします神様仏様」と言う。
私も言う。受験や試合で勝ちたいとか、大切な人の病気が治って欲しいときとか。
すがれるものにはなんでもすがりたいという一心だ。

それで物事が上手くいった時、我々は神様に
お礼に行ったりする。なぜなら本当に神様は我々に自信を与えてくれたから。


でも、fake town babyはとことん頑張っている人の味方。だから、「神様のおかげ」とか、「ラッキー」という言葉を絶対に許してくれない。

貴方が頑張ったから、合格した、試合に勝った。
全部全部、貴方が頑張ったからなのに!!!!
神様の存在がそれをかき消してしまった!


そう言っている。


不条理を受け入れるのは苦しいけど、
まるごと、万物を承諾してしまえば
君の努力も認めることになるでしょう?


自分の常識との乖離に悩む者があれば
目の前に現れて一見厳しい言葉を放つ。


君の常識に用はない。



また君が歩み出すことがあれば、
fake town babyは悪友のようににやりと笑って、
隣で言ってくれるだろう。


「さあ勝算万全、お待たせ」


全部受け入れる覚悟で行く、後悔するくらいでちょうどいい。なんなら全部巻き込んで楽しんじゃうのがルールなんじゃない?

fake town babyの隣で自分を肯定しないか?